3年前、初めて自分のweb siteを持った時には、今日のような状態は想像できなかった。
じじい臭いかも知れないけど、3年前には、webで日記を書くなんてのは、かなり特殊な行為だったと思う。でも今は違う。webは、あまりにも巷に深く浸透し、あまりにも広く使われるようになった。
そして当然、web上にモノを書くときに、本名を使うということに対するリスクも大きく変わりつつあると思う。
僕と同時期に日記デビューした人達には、誰とは言わないが、結構本名で活動されている方も多い。そして僕自身も本名で活動することに対して、何の違和感も持たなかった。
当時も今も、匿名性の高いwebというメディアに本名を晒すことのリスク自体の意味合いはあまり変わらないと思うのだが、当時と今とでは、そのリスクが持つ現実味がずいぶんと異なってきているのではないだろうか、などとも思う。
3年前にはgooなんてなかったし、webに触れている人の数も比べ物にならないぐらい増えているだろう。あの頃は密閉された特殊な空間であった場が、あきらかに現実世界と密接に係ってきている。
日記という分野に限定して考えると、自分の考えや生活を吐露し続けるのに、現実世界とのリンクが明確になればなるほど、自由にものを書くことはできなくなってしまうというのは、寂しいが仕方のないことだと思う。特に自分と何らかの利害関係や社会的関係を持つ「他人」に自らのプライバシーをさらけ出し続けるというのは、度胸もいるし、それと同時に無謀なことでもあると思う。
僕自身は、いまのところそれほど多くのトラブルを抱えているわけではない。仕事のお客さんから変なツッコミメイルがやってきたこともないし、近所の知らない人から脅されたこともない。でも、そういったことは、もはや「いつ起きてもおかしくないこと」になってしまっているんだ、ということは認識しておくべきだとは思う。つまり、覚悟はしておけ、自分の身を自分で守る用意はしておけ、ということだろう。
分かっていると思うが、そんな風に身構えた状態の人間が綴る日常にいったいどれだけの真実味や面白みがあるのかと言われれば、それはもちろん無防備な人に較べて「無難な」部分しか吐き出せない、という答えになってしまわざるを得ない。例えば、取引先の女の子とこっそり付き合って週末毎にSM行為に没頭しているとか(たとえばだよ、たとえば)、実はハイヒールフェチで、夜中に彼女の靴を舐め回しているとか(たーとーえーばー)といった内容のものは書けないだろうし、仕事でむかついた揚げ句上司をごみ箱で殴った、なんてのもまずいかも知れない。
正直言って、少しずつ、本名で書き続けることが煩わしくなりつつある。
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じゃあ名前変えて書けよ、と思うかも知れないが、長年本名で書いていると、そこにはそれなりの美学というか、こだわりというか、というよりも自分の名前も含めてさらけ出してしまえという露出的快感というものもあって、なかなか一筋縄ではいかなかったりもするのだ。そのへんはなかなか説明しにくい。
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でも僕はまだ、このままこの日記を書き続けようと思っている。そもそも今日こんなことを書こうと思ったのは、僕が本名で書くことが嫌になったからという理由ではない。
ただちょっと、そんな気がして、書いてみた、ということにすぎないのだけれども。
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そもそもは、Niftyで自分のハンドルを考えるのが面倒だったから本名で始めてしまったというのが敗因なのかも知れない(笑)。僕も何かヘンテコリンなハンドルつけておけばよかったかな、などと今更思っても遅いのだ。
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