秋の夜長に 思うこと   自閉編


1999年10月11日(月) 晴れ

おやおやおや。

またしても随分休んでしまった。先々週の水曜日以来か。木曜日の夜は、東海村の事故があって、興奮しながらテレビを見つつ、あーだこーだと言っているうちに酔っ払ってしまい、日記を書けなかったんだ。で、金曜日はニナが体調を崩し、土曜日は、朝から突然「作業」を(ようやく)本格的にスタートした後、たえさんご夫妻とmakiさんと「ファッショな居酒屋」で飲み、というわけで、いつも通りというかいつにも増してバタバタと過ごしているうちに、すっかり日記から遠ざかってしまった。

みんな元気だった?

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さて、日記。

今朝は、甲府の友人宅で目覚める。昨日からニナと一緒に一泊二日でお邪魔していた。昨夜は赤ワインを中心にして延々と飲み、今まで知らなかった彼の一面をたくさん見せてもらった。なるほど、家に遊びに行くというのは、その人の個性を知るうえで非常に重要なことかもしれない。

10時過ぎに目覚め、彼の作成したコーヒーを頂き、パンなどを食べつつあーだこーだと話。前回彼が僕の家に遊びに来た時は、僕がさっさと眠ってしまい全然話ができなかったので、今回はそのぶんを取り戻すぐらい話ができて満足。

昼過ぎに彼の家を出て、甲府の駅前で昼食をご馳走になり(庶民に還元)、白ワインを買って帰る。甲府の街はすごくきれいで生気があって、僕はすごく気に入った。彼が長く住まないというのが残念でならない。

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三連休の最終日の午後ということで特急には乗れず、各駅でタラタラと帰宅。車中はずっとニナと「しりとり」をして遊んでいた。実にくだらない遊びなのだが、妙にはまってしまい延々と続けてしまい、三鷹の駅で降りる頃にはどっと疲れてフラフラになってしまっていた。駅前で適当に食材を購入してから帰宅。

どうもお疲れ様でした、また遊ぼうね>某人。

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【香水について】

僕は香水をまったくつけないし、ニナもほとんどつけない。香りを纏うという行為自体は嫌いなわけではないのだが、僕自身はなかなかきっかけがなくて、自分が気に入った香りというのを見つけることができず、未だに香水を持つという経験をしたことがない。若いガキがプンプン香水の匂いを振り撒いているというのは非常に惨めな感じだが、30歳を過ぎて僕も少しは大人のたしなみとして、自分の香水というのを持ってもいいのではないかな、とは思っている。で、たまにデパートで男性用の香水売り場で試しに匂いを嗅いでみたりはするのだが、残念ながらそれほど積極的に自分に合う匂いを探し出そうという気もないようで、未だに僕は無臭のまま生活している。

いずれにしても、香りというのは、隣に座ると頭が痛くなるように強く匂っては台無しなわけで、時折微かに香るぐらいにつけるのがポイントだと思っている。外国人や若い女の子なんかで時々強烈な匂いをばら撒きながら歩いてる人がいるけど、あれは匂いの暴力以外の何ものでもなく、是非やめてもらいたいと思う。洋服や髪形の好みが人それぞれで異なるように、香りに対する好みも十人十色なわけで、いくら好きなディオールの香水でも、頭が痛くなるほどの強烈な臭気で迫られては、周りの人間はやってられないというものだ。

それはさておき、匂いというのは、実に強烈に記憶に残るものだ。

昔むかし、つきあっていた彼女がいつもつけていた香水の匂い。そんなもの、思い出そうと思っても普段は絶対思い出せないし、言葉で説明することも絶対にできない。それと同じ匂いに出会うことがなければ、そんな匂い、記憶の奥深くにしまい込まれてしまい、二度と僕の前に現れることはない。

ところが、電車の中で隣に座った女の子が偶然その娘と同じ香水をつけていたならば、その香りが僕に届いた瞬間に、僕の意識はまるごと、その娘とつきあっていた時の記憶の渦の中に放り込まれてしまい、他には何も考えられなくなってしまう。

もう10年近く会っていなくて、顔も声も仕草も、思い出すことなんてすっかりなくなってしまっていた女の子との日々の記憶が、香水の匂いが届いた瞬間に、まるで噴水のように体中から溢れ出してしまい、制御ができなくなる。

一緒に歩いた歩道の景色、首筋の肌の感触や乳房の形、怒った時に裏返るみたいに震える声、遅れていた生理が来た時に僕に抱きついて泣いた腕の中の彼女の温かさ柔らかさ、そんなこんなの色々な記憶がまぜこぜにデタラメに一気に脳裏に浮かんできて、焼き付いていく。

たとえもし僕が実際その娘本人と面と向かって会って話をしたとしても、そんな風に色々なことを思い出すことはないだろう。会ってしまえばきっと分かる。お互いが離れてから過ごした日々の長さを、経験したことの重さを、お互いにもう10代の若者ではなくなってしまったという圧倒的な事実を。

だけど香水の香りというのは純粋に、年老いることもなく色褪せることもなく、あの頃のまま純粋な形を残してまったく予想をしていない瞬間に僕に届き、僕を完全に支配することができる。たとえ隣に座った女の子が全くの赤の他人だったとしても、僕はその娘の体から漂う香りを通じて、年老いてもいない色褪せてもいない、かつての彼女の一部に触れることができる。

そんなことを考えていると、ふとおかしくもなる。彼女は10年以上前に、自分がどんな香水をつけていたかなんて、今となってはまったく憶えていないかもしれない、と。もしかしたら彼女はもうとっくの昔に結婚して子供を産んで、香水をつけることもなく、充実した日々を送っているのかもしれない、と。そしてきっとそれは、僕が勝手に思っているだけではなくて、いたって単純な事実なのだろう、と。なぜなら、僕と彼女が愛し合ったのは、もう12年も前のことであり、今僕は30歳であり彼女も30歳であり、僕には今一緒に生きていく女性がいて、そして何より僕には彼女が生きているのかどうかも知ることができないのだから。

彼女がつけていた香水は、秋の東京の街によく似合う。朝の通勤時、コートの襟から微かに香りが漂うと、今でも僕はハッとして顔を上げ、すれ違った女性の後ろ姿をじっと見つめてしまう。でも最近、ようやく気づいたことがある。秋が似合うと思った理由は、彼女が秋にその香水をつけていたからなんだ、ということを。

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山田泳美、「僕は勉強ができない」読了。

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今日の重:94.4キロ(今週末の目標:93.0キロ)←(ダイエット決意時の体重は96.4キロ)


 

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