僕は白い廊下に一人立っていた。天井も壁も床も白く、どこにも照明はないのに廊下全体から青白い光があふれていた。首の付け根のあたりに鈍い痺れのようなものを感じながら、僕は2、3回首を振った。顔の周りの空気が纏わり付くように粘り気を伴っていた。僕は手を伸ばして静かに壁に触れてみた。壁はひんやりと冷たく、そして恐ろしく乾いていた。
廊下は20メートル程真っ直ぐに続いていた。その先はどうやら右に曲がっているらしかった。振り向いてみると、僕の背後には、5メートル程廊下が続き、そしてそこでプツリと行き止まりになっていた。
ここは一体どこなんだろう、僕は呆然としたままゆっくりと歩き始めた。白い床は毛足の短いカーペットのように思えたが、床全体からも青白い光が放たれていた。後頭部の痺れが体に纏わり付いてうまく歩くことができず、体の周りの空気がねばねばと粘質を帯びたようで、まるで水中を歩いているようだった。青白い光が僕の両眼を刺すように刺激してちくちくと痛んだ。
僕は壁に手をつきながら、廊下の突き当たりまで歩いた。青白い光は少しずつ強くなっているように感じ、時折チカチカと明滅さえしているように思えた。廊下に沿って右に折れると、この細い廊下は更にずっとまっすぐに続いていた。どこまで続いているのかが見えないほどずっと続いていた。廊下全体から発せられる青白い光は奥に行くほど強く鮮やかになり、まるで若い恒星が廊下の先で青白く燃え続けているようだった。
あまりの光の強さに僕は思わず目を閉じたが、体は無意識のうちにさらに廊下を進んでいった。僕は右手を壁に触れたまま、手探りでゆっくりと歩いていった。きつく両眼を閉じていても、瞼の細胞の隙間から強烈な光がどんどん僕の視神経に入り込んでくるように感じた。
そのとき、ふと僕は他人の気配を感じた。粘り気の強い大気が、僕以外の誰かによって微かに揺らされていた。僕は痛む両眼を微かに開き、何が僕の前にいるのかを確かめようと手を伸ばした。
僕の前にはセーラー服を着た女の子が立っていた。ほっそりとして背が高く、髪の毛は肩よりも少し長く、耳のうえあたりで髪をピンで留めていた。彼女の顔を覗き込もうとするのだが、彼女の顔はぼんやりとしていて、どんなに目を凝らそうとしてもはっきりとは見ることができなかった。
僕は彼女の視線を感じた。彼女は明らかに僕をじっと見つめている。僕は彼女にここはどこなのかを尋ねようと思ったが、口からは言葉は出てこなかった。僕はただ乾いた吐息を洩らしただけだった。彼女は手を伸ばし、僕の手を静かに握った。ひんやりとした彼女の手は、まるで質感がなく、陶器か何かに触れているようだった。
彼女は少しだけ微笑んだ、少なくとも僕はそう感じた。彼女は今僕に向かって微笑んでいる、という確信が僕の体に満ちた。僕はひどく安心した気持ちになり、見えない両眼で彼女に向かって微笑み返した。
彼女は再び静かに微笑み(少なくとも僕はそう感じた)、僕の手をとったまま静かに歩き始めた。僕は彼女に従った。彼女は足音もたてずに静かに歩き続け、僕は彼女の隣を歩き続けた。ときおり彼女は僕の方を見て(僕には見えていないが)、僕が彼女の視線に気付いて微笑むと、彼女も静かに微笑んだ。
やがて彼女は立ち止まり、セーラー服のポケットから鍵の束を取りだしたようだった。ジャラジャラとした金属音を聞いた時、僕は今までずっとこの廊下は完全な無音状態だったことに気付いた。鍵束の音は猛烈な勢いで廊下中へと拡散していき、反響を繰り返していた。それはびっくりするぐらい大きな音に感じられ、僕は一瞬眩暈を覚えたほどだ。
彼女は鍵の束から一つだけを選び出すと、それを白い壁にあいていた小さな鍵穴へとさしこみ、左に回した。鍵はカチリという音をたて、ドアが開いた。彼女は鍵の束をポケットにしまうと再び僕の手を握り、僕を導くようにドアの中へと歩き始めた。僕は彼女についてドアの中へ進んだ。僕が通り過ぎるとドアは勝手に音もなく閉じ、その瞬間に僕の目の前には今までに体験したこともないような漆黒の闇が訪れた。
そこは細い廊下のようだった。僕達は一言も口を聞かず、彼女はまるでそこが暗闇ではないかのように軽快な歩調で僕を導き続けた。僕は自分の足元が全く見えない状態で彼女の小さな手を頼りに歩き続けた。猛烈な光によって痛め付けられた両眼が少しずつ息を吹き返すように、熱い涙が両眼から流れ始めた。僕はこれまでに体験したこともないほどの猛烈な暗闇の中を、彼女の手を握りしめ、涙を流しながらどこかへ向かって歩き続けていた。
ふと気付くと、僕はずっと昔にどこかで見たことのある部屋にいた。どこにでもあるような家の、小さな子供部屋だった。6畳ぐらいの部屋には、勉強机とベッドと本棚が居心地よさそうに配置されていた。僕はその部屋のベッドの上に座り、僕の隣にはセーラー服の女の子が座っていた。勉強机の上には、上品なコーヒーカップが二つ、上品なソーサーの上にちょこんと乗っていて、コーヒーから湯気がたっていた。サッシの窓からは、燃えるような夕焼けが僕達を照らしていたが、彼女の顔はどうしてもはっきりとは見えなかった。部屋の灯は消えていて、僕達は猛烈な夕焼けにより真っ赤に染まった部屋の中で並んで座っていた。
やがて彼女は静かに立ち上がると、僕のことを見つめたまま、静かにセーラー服を脱ぎ始めた。彼女は脱いだセーラー服を勉強机の椅子の背中に無造作にかけると、白いソックスも脱ぎ、白の下着だけになった。彼女の小さな胸の膨らみを、白い下着が大切そうに守っているように見えた。白の下着は夕焼けに赤く染まり、透き通るような彼女の素肌は窓の外の光を浴びて輝いていた。
彼女は僕の隣に座り、僕の服を脱がせようとした。僕は彼女に協力するように体を動かし、僕も下着姿になった。僕は痛いほど激しく勃起していた。今にも射精してしまいそうな程だった。僕は彼女の肩に手を触れ、彼女を静かに抱き寄せた。僕が触れた瞬間に彼女はピクリと肩を震わせたが、僕の腕の中に滑り込んできた。僕の腕の中で彼女の肌は滑らかで暖かく、じっと抱きしめると彼女の息遣いが僕の体に伝わってきた。
僕達はそれから静かに口づけをした。彼女の唇は軟らかく湿っていた。僕はじっと目を閉じたまま静かに唇を重ねていた。彼女は体の力を抜き、僕の胸に体を預けていた。僕は彼女の肩越しに彼女の胸を下着の上から触れようとした。
彼女はピクンと体を震わせ、するりと僕の体から抜け出すと、哀しそうに静かに首を振った。彼女はしばらくの間ベッドの側に立っていたが、やがて静かにベッドの上に座り直した。僕は再び彼女の体に手を伸ばしたが、彼女はそれを制し、哀しそうに首を振るだけだった。
やがて彼女は立ち上がると勉強机の引き出しから小さな剃刀を取りだし、それを手にベッドに戻ってきた。彼女は僕に向かってもう一度哀しそうに首を振ると、右手で剃刀を持ち、それを左手首にあてた。僕は呆然と彼女のことを見ていた。何か言おうとしても言葉が口から出てこなかった。
「さよなら」
彼女は小さく呟き、そして勢いよく剃刀を引いた。プツリという乾いた音と共に、彼女の左手首から勢いよく鮮血が迸った。彼女は鮮血の迸る左手首を僕の前に差し出すと、突然大声で笑いはじめた。迸る鮮血が彼女の白い下着を赤く染め、布地に染み込むとその血は少しずつどす黒く変色していくようだった。
彼女は大声で笑いながら、僕のことをベッドに押し倒した。それはものすごい力で、とても女の子の腕力とは思えなかった。彼女は僕の両手を簡単に押さえ付けると、僕の上に馬乗りになった。彼女は鮮血の迸る左手で剃刀を握り締め、ひきつるように大声で笑い続けていた。僕は彼女の声を聞いているうちに吐き気を催したが、体には全く力が入らず、彼女をはねのけることができなかった。夕焼けが血のついた剃刀を照らし出し、彼女の手首から流れ続ける鮮血がポタポタと僕の胸板に垂れて流れた。
ひとしきり彼女は笑い、そして鋭い、突き刺さるような声で僕に向かって叫んだ。
「みんなあんたのせいなんだからね」
彼女は僕の首筋に血糊のついた剃刀をあてた。僕は心の中で「そうだ、全部僕のせいだ」と呟いた。僕は静かに目を閉じた。彼女はまたひきつるように笑い、そして剃刀を勢いよくひいた。
暖かいものが大量に体から噴きだしているのを感じながら、僕はベッドに埋もれたまま目を閉じていた。痛みは感じなかった。少しずつ視界が暗くなっていくことを僕は感じていた。タバコが吸いたいな、僕はそう思いつつ意識を失った。
(c) GG / Takeshi Tachibana
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