エッセイ

誕生日にAmazonの「ほしい物リスト」を公開したら、すごいことになった!皆さん本当にありがとうございます!!

エッセイ
Group of happy children celebrating birthday in spring garden
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誕生日に自分の「存在給」を上げよう!

7月5日の自分の46回目の誕生日に、ブログにこんな記事を書いた。

 

Amazonにある「ほしい物リスト」を公開して、「誕生日プレゼントをください!」とお願いしてみたのだ。

Amazonには、今すぐに買うわけではないけれど、いつか買いたいものをリストにする「ほしいものリスト」がある。

そして、そのほしい物リストを公開することができることは以前から知っていた。

でも、僕はずっとほしい物リストは非公開にしていたし、誰かに「誕生日だからプレゼントちょうだい」なんてお願いしたこともなかった。たとえ家族でも、恋人でも、そんなことは言ったことがなかった。

良く言えば「謙虚」なのだが、実はそこには「自分には欲しいものをもらうだけの価値なんかない人間だ」「自分は欲しいものを欲しいなんて言ってはいけない(言ったら罰がくだされる)」という「自己否定ビリーフ」が根深く存在しているのだ。

心理学の勉強をするようになり、そして自分の奥さんがセラピストということもあり、この辺りを探求していたわけだが、そこである1冊の本と出会った。

こちらの本だ。

 

この本、「一生お金に困らない生き方」の中に、「存在給」という言葉が出てくる。

存在給とは、自分が何かを達成したり、人の役に立ったりした結果もらえるお金ではなく、「ただそこに自分が存在しているだけ」の自分につけている価値だという。

僕は自分の存在給が、限りなくゼロに近いことにショックを受けた。自分で「ただそこにいるだけ」の自分に価値を見出していないのだ。

「がんばった自分は偉い」「売上トップの自分は誇らしい」「ブログのPVが多いから自分は素晴らしい」「本がたくさん売れたから僕は褒められていい」

全部自分への承認が「条件付き」なのだ。

寝ているだけの自分、昼から飲んでいる自分、だらだらしている自分には、「まったく価値はない」と思い込んでいる自分がいた。

そういう思い込みかある人は、「がんばらない自分はダメな自分」だという世界を自分で構築するので、がんばらないとダメになってしまう世界が実現してしまう。

それは困る!

というわけで、ここ数ヶ月、僕はさまざまな方法で自分の「存在給」を上げるための取り組みをしてきた。

要は、「ありのままの自分を自分で祝福する」ことを自分に許可することだ。

その一環として、誕生日に自分からみんなに「僕のことを祝って!おめでとうの気持ちをプレゼントにして贈って!」と言ってもいい、と自分に許可を出したのだ。

というわけで、僕は自分の誕生日に、このブログで「皆さん、僕にプレゼントを贈ってください!」とお願いすることにした。

【次のページ】ブログでAmazonの「ほしい物リスト」を公開した結果!

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