Shakti / Yutaka Fukuoka
二人して生ビールを注文した。休みの日に、遅い朝食をとりながら飲むビールはかなり好きだ。決して酔っ払うまで飲むのではなく、カラダとココロを休日モードに切り替え、リラックスするために飲む。
ランチタイムに突入しているからかなり客が多い。僕達の注文したビールのほかにコーヒーやジュースをトレーに載せたウェイターが僕達を通り過ぎて、僕達の後ろの席の女性2人連れのところにドリンクをサービスしようとしていた。
僕の正面が鏡になっていて、ニナが僕に向かって話しかけている。神経の90%以上はニナに向かっていて、鏡の向こうは無機的に見えているという状態だったのだが、突然女性の「あらららら」という嫌悪感に満ちた声によって鏡に映る映像に集中すると、若くてちょっとおどおどした感じのウェイターが、ビールをトレーの上でひっくり返している。僕達のビールだ。
ビールはトレーから溢れて女性2人のテーブルにボタボタと垂れて、更に女性の洋服の上に流れている。女性が自分のおしぼりを使って必死に流れ落ちるビールをせき止めている。あーあ、やっちゃったな、と思って鏡越しに見ていたが、どうも店員の対応が悪い。ビールをひっくり返した若い男は奥に引っ込んだきり全然出てこない。別のウェイトレスは知らん顔で通り過ぎて行く。
夜の飲み屋でならまだしも休日の真っ昼間にビールをぶっ掛けられた女性が不憫だ。きっとあんまり普段からお酒なんか飲まない人達だろう。ビールが洋服にかかるとすごく臭いのに、なんで誰も来ないんだろう。
いつも僕達に愛想をふりまくかなり年配のウェイトレスがすごい勢いでやってきた。両手には持ちきれないほどのおしぼりの束。ものすごい勢いであやまりながら、床にはいつくばって客のテーブル、椅子、洋服、全てを拭きまくる。大きな声で謝っている。何度も謝っている。ビールが入ったかも知れないドリンクをさっと下げて、新しいものを持ってくる。
女性達も苦笑いしている。おばさんウェイトレスの手腕は見事だった。ニナとも言っていたんだが、彼女はどうやらパートのおばさんではなく、店を「回す」、マネージャクラスの人だろう。一件全てがうまくいったような感じだけど、肝心のビールをぶっかけたウェイターは最後までそのテーブルには近づかなかった。それがせっかくのおばさんの大活躍を台なしにしてしまったと感じた。
彼は恐らくアルバイトの学生なんだろう、責任なんてものはあんまりないんだろう。何時間働けば幾らかもらえるというスタイルの給料体系なんだと思う。責任を取るのは店長であり社員であるから、本人が謝りにいかなくても問題はないんだろう、客もいちいち顔なんて覚えてないから、彼が謝ることを求めてはいなかっただろう。
でも彼自身、あのままずっと遠くでボーとしていて気分が良くなるのだろうか。自分の失敗から逃げたまま、客がいなくなるのを遠くから見ていて良かったんだろうか。もう一度客のところに謝りに行くことは、彼にとって重要なことではなかったんだろうか。家に帰ってきて一人になったとき、彼は今日のことを思い出すんだろうか。何とも思っていないんだろうか。そんなものなんだろうか。
フナイさんのCASAの話しを思いだしながら、そんなことを思った。
WhipperSnapper / Wayne Krantz Trio
今二冊目の「揺れ動く」を読んでいる。この本で僕がびっくりしたのは、語りべのサッチャンという人物の設定がむちゃくちゃだからだろう。
簡単に言ってしまえば両性具有、男性器と女性器を共に持ち、男性として育てられ、ある日を境に女性へと「転換」した人物。「転換」と言っても手術をしたり何かを注射したりしているわけではなく、単に生き方と生活を男性から女性へと「転換」したということになっている。
まだ途中までしか読んでいないから何とも言えないけど、どうもその強引な人物の設定に、作品が追い付けないでいる感じがしてしょうがない。両性具有であるサッチャンの、男性から女性への生き方の転換によって発生したであろう苦悩や精神状態の変化はおざなりにされており、また射精と同時に膣の収縮を伴う両性のオルガスムスを同時に体験したといった肉体的な描写はあるが、精神的に男性から女性へと移行していく過程のようなものは一切書かれていないので、どうもそのサッチャンという人物のリアリティがない。
サッチャンという人間の設定以外にはそれほど強引な人物設定がなく、SFのように読んでいくことはできない。宗教的な話しではあるものの、かなり現実的な物語の中に、彼(彼女)が両性具有である必要があるのか。
残り一冊半で、明確な答えが出るのか。
苛立ちと期待を持って、読み続けるつもり。
Sea of Love / The Honeydrippers
どうぞお幸せに。今日も日記がしっかり更新されていたのは、さすがと脱帽(笑)。
野原さんの記念日の前日の25日、僕の記念日になりました。野原さんの記念日に比べてば全然小さな小さな記念日ですが、まずはゆっくり歩いていきたいと思ってます。
The Two Lonely People / Bill Evans Trio
男は失恋して強くなっていくべきものだと思う。いろいろな考え方の人がいると思うので、不快だと思ったら読むのをここで止めて欲しいんだけど、僕はやはり好きな女性は守って行きたいと思う。
ずいぶん前にシゴトのことについて書いたときにも触れたと思うんだけど、追い込まれた時ほど、攻めの姿勢を貫かなければいけないと思う。経験がないということはそれだけスキがあるということになると思うので、どうしても何か突発的なことが起きたときに冷静に対処できない。
他人に責任を転嫁したり、自分を不必要に攻めたり、全てを投げ出してしまったり。
恋愛に限ったことではないと思うが、永続的に続くものなんて存在しないと思っている。知りあって一カ月や二カ月で永遠の愛なんて誓われてたまるか。冗談じゃない、そんな簡単に愛なんて言って欲しくないな、そんなに軽いものじゃないよ、僕には愛ってものはまだ全然見えない。
一度愛を誓いあってしまえばその若くて幼い誓いが永遠に続くと思って安心してはいけないと思う。どんなに熱く燃え上がった想いも、時間が進めば変質していくものだと思う。
変質していく方向を決めていくのは「愛」という単語ではなく、愛を創っていく二人であって、誰からどこかから愛情をばらまいてくれるなんてことは絶対にない。
一カ月後にどうしたいっていう目標がないのに一年後の姿を想像することはできないし、一年後の姿が見えなかったら10年後の姿なんてどうして見えるんだろう。十年後のビジョンがないのに、一体どうやって永遠の愛なんて誓うことができるのか。言葉が軽すぎないか?、気持ちが浮ついていないか?、そんなに簡単に人を愛せるものなのか?
永遠だと思っていた愛が強制終了させられるとき、あなたは何を思うのか?、誰を責めるのか?、どうやって対応するのか?、それでもまだあなたは愛が永遠だと思えるのか?
一歩一歩、ゆっくりと育てていって、いつかどこかで、結果に気付く、そういうものではないのか?
優しさを、はき違えては、いないか?
どんよりと曇っていて涼しいというよりも寒い。遅めの朝食というよりも、殆ど昼食という時間だったが、ニナといつものレストランに立ち寄った。
大江健三郎の「燃え上がる緑の木」三部作を読んでいる。
野原さん、おめでとうございます。
あくまでも僕の個人的な考え。
Kana/
Shimomi
som1973/
フナイ/
稀Jr/
安原/
山本/
狂楽/
わっちゃん/
松木
藤間/
赤尾/
松永/
岡田/
江口/
Alice/
うえだ/
わっきー/
阿部
(c) T. Tachibana. All Rights Reserved. 無断転載を禁じます。tachiba@gol.com