Enjoy / Bjork
Deity / Ministry
To Here Knows When / My Bloody Valentine
結局Utopia(理想郷)等というものは存在しえないのだろう。
唐突に何を言いだすかと思われるかも知れないけど、これは僕のインターネットに対して思っていること。
流通革命だとか社会革命だとか言われているようだけど、結局は人間が操作する道具の一つにすぎない。
では日記に関してはどうだろう。
日記を書き始めてから何が変わっただろう。
まず、爆発的な勢いで友達が増えた。
実際に会ってちょくちょく遊ぶ友達も、まだ回線を通じてしか話しをしていない友達もいるが、いずれにしてもサラリーマンになって以来減速傾向が顕著だった新しい、しかも信頼できる友達がどんどん増えていくことは、僕が日記を書いていて何よりも嬉しいことだ。
もちろんインターネット上で知りあった全てのヒトと信頼関係を結べる訳ではない。当然うまが合わないヒトもいるし、裏切られたりもしたが、別にそれは実社会でも当たり前のようにあることだし、インターネット上で裏切られる分には、利害もなにも絡んでいないから、純粋に傷ついただけで済むだけ傷は浅いような気がしている。
現実世界だと、友達だと思っていた相手に金品を騙し取られるとか、突然宗教の勧誘をされるとか、犯罪に巻き込まれるとか、もっともっと泥臭い話しになってしまうことが多いような気がする。もちろんネット上で知りあったヒトだからそういう事を絶対にしないと言うつもりは毛頭ない。
ただ、日記というごくごく私的な文章を日々公開している人達は、実際にお会いする前に大体こんな事を考えている人だろうなっていう想像ができる。その想像が全く大きく外れたということはあまりない。もし日記を読んでいてこの人とはうまが合わないと思ったら会わなければいい。ある僕の友人も言っていたが、日記というものは、文字情報以上の何かを電話線を通じて運んで行き、読む人に伝えてしまうチカラがあるような気がしてならない。
パソコン通信やインターネットによる情報の公開は発信元の素性がはっきりしないので、自分の身元を偽ることが容易いということになっているが、日記に関しては僕はそれはあまり当てはまらないと思う。もちろん年齢を偽ったり性別を偽ることは簡単にできるが、日記から滲み出てくる感覚的な部分の「匂い」から次第に分かってしまうもののように思う。また、格別他人を不快にさせない(迷惑をかけない)範囲であれば、別に自分のことを偽っていたとしても何ら問題ないと思う。シゴトではないのだし。まあ、女性だと思ってメイル交換しているうちに惚れてしまって会ってみたら男だったなんてのはマズイかも知れないが。。。
ただいくらVirtualな世界と言っても人間と人間がコミュニケーションをとっているわけだから、何をやってもいいというのはおかしいと思う。僕がかつて日記上で他人を攻撃したり中傷するようなことを書いたのも結局は自分の現実の世界とインターネット上の生活が完全に遊離していると誤解していたからにすぎない。実際に他人を目の当たりにして誹謗・中傷しまくる勇気(というか無謀さ)は僕にはない。
実際にネット上で知りあった人達とお会いするようになって、ネット上の自分と実生活の自分が融合して一つになり始めた。そのことが僕の日記上での発言を大きく変えた。
ネット上であろうが実社会であろうが人に迷惑を掛けたら謝るのがスジだし、公共の場では自我をある程度抑制して他人との協調を計る必要もあると感じ始めた。自分のページは自分のものだという考えもあるけど、やはり公開している訳だから極端に他人を不快にするような内容はまずいのではないかと思う。
僕の日記は俗に(というか自分で定義しているが)不明日記なんだけど、これは僕の表現方法の中で自分の好きなものであるのと同時に、自分のプライバシーの保護と読む人を不快にしないための配慮もしているつもり(つもりだけかも知れない。きゃー)。
僕は幼い頃から両親に放っぽり出されて育ったので(そのためかどうかは不明だけど)、他人に自分の事を理解してもらいたくて仕方がないらしい。さらに自分の住んでいる場所や職業、外見等からどうしても誤解されることが多いので成人してからよりいっそうその傾向が強くなったように思う。ただ、現実世界ではそんなにココロを開いて話しをできる友人もたくさんはいないので、何も言わずに黙っているというのが最上の策だと思って諦めていた。
最近僕に会った人達は絶対に信用しないと思うけど、実は僕は学生時代は殆ど誰とも口を聞かないヤツだった。単に何を話していいか分からないから黙っていただけなんだけど、周囲はそれを気取ってるとか、カッコつけてるとかいう見方をした。ま、別にそれでもいいやと思って諦めていたんだけど、どうしてもそれがストレスになるから時々暴走する。バンドでライブをやるとライブハウスの機材とかを壊して怒られたりした。
ただ僕の場合は元来人間嫌いだった訳ではなくて、ただ単にコミュニケーションが怖かっただけなので自分に自信を持つようになるにつれて徐々に他人と話しをするのが苦痛ではなくなっていったような気がする。
あ、ちょっと話しが逸れてるな。えーと、そうそう、僕は他人に自分のことを理解して欲しいという欲求が人一倍強いと思う。で、日記にも当然自分の個人的なことをどんどん書いてしまう。普通なら書かないようなプライベートな事とかもどんどん書いてしまう。きっとこれは幼児期から社会人になるまでずっと蓄えられてきた欲求不満が爆発しているんだと思うので、自分では全然気にしていないんだけど、公開してヒトに見てもらうからにはやはりちょっと考えないとまずいと思うようになった。
自分の感情をそのまま稚拙な文章にするのではなくて、それをCompileして雰囲気やニュアンスだけが滲み出るような文章に変換して発信したいと思うようになった。不明な日記に自分の思いを変換して表現する訳だから、当然受け手の解釈は100人いれば100通りあって当たり前だと思うし、誤解も生じてくると思う。例えば、以前僕が日記に書いた、「海驢(アシカ)の鎖骨の透明感」なんて、なんじゃそれって感じだと思う。僕自身海驢の鎖骨が何色かを見たことないし。
「海驢」という単語と「鎖骨」という単語と「透明感」という単語、その組み合わせ、前後の文章、背景色、テキストの色、行間、BGM(僕だけが聞えている訳だけど)、そういったもの全てが融合して「海驢の鎖骨の透明感」というコトバになっているわけで、決して実物の海驢の鎖骨の透明感を連想して欲しいと思っているわけじゃない。
自分のありのままの感情を、ヒトを不快にしないで(ヒトには身内を含むが)表現できる方法が不明日記であると僕は思っている。一見意味不明な単語の連続から読んでいるあなたが連想し、感じるもの。きっと僕はそれを伝えたくて不明日記を書いているんだと思う。
インターネットは決して理想郷ではないが、今までになかった方法で他人に情報を伝達することができる道具だと思う。そして、インターネット日記は、情報と同時に、文字に書いてない感情まで読む人に伝達することのできる悪魔の発明かも知れない。
使いこなせるかどうか、まだ僕には自信がないが、まずは続けてみたいと思う。
産み落とされた胎児は、
泣き声を上げることをせず、
代わりに周囲をきょときょとと見回した。
大声で泣き声を上げたら親に嫌われるのではないかと恐怖し、
寡黙に指をしゃぶり続けた。
やがて彼には「おしゃべり」という渾名がつき、
彼は寡黙なまま育っていった。
暗闇に包まれると今でも彼は、
道端に捨てられた赤ん坊の泣き声を聞き、
羨ましく思うことがある。
暗く深い瞳、
鉄板がガラス体と水晶体の間に入っていて奥まで覗き込めない、
瞬きをするたびに砂金が目尻からこぼれ、
緑色の瞳からは熱せられたドロドロの銅が流れ出す。
ポタポタと机の上に垂れる銀色の涙に、
僕はカラダを捩り喘ぎ声を上げる。
Nora/
夜久/
野原/
志織/
武市/
PDPDP/
Akko/
手島/
som1973/
フナイ/
石橋/
Shimomi
Haru/
shin-ya b/
かおり
nico/
Kana
安原/ 山本/ わっちゃん/ 松木/ 松永/ 岡田/ 江口/ Alice/ うえだ/ 阿部
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