秋の夜長に 思うこと  自閉編



1998年10月3日(土)

さすがに疲れていたらしく、昼前まで惰眠を貪る。

目が覚めてしばらく呆然と過ごす。先日からずっと考えていたことについて考えるともなく考えた。「僕は日記を止めるべきか否か」。

あれこれと考えた揚げ句、ローカルにダウンロードしてあるせんべいさんの「私が見るもの」を第一回から読む。アメリカの僕が知らない街から誰だか分からない僕達に向けて発信され続けた彼の言葉を読み返し、やっぱり凄いなと思う。彼自身も書いているけど、日記を生活の中心に据えて生きるなんてのは、なかなかできることではない。

思えば「思うこと」もいつのまにかずいぶんとしがらみをあれこれと抱えた日記へと変質してしまったのだ、と改めて感じる。ニナとのこと、日記猿人、ばうわう氏とのこと、仕事のこと、友人達のこと。もはや僕に2年半前の、未知の世界に向けての盲目的な爆発を伴うような無邪気なものは書けるはずがない。それはある意味では当たり前のことだ。

「止めるときには華やかな散り方を」といつも考えてきた。でも、今日になって改めて思う。別にプロ野球の選手でもないんだから、引退もなにもないわけだし、ただ嫌になったら黙ってここからいなくなればいいんだよな、と。

そして同時に思った。しらずしらずのうちに、自分の思いを綴る生活にすっかり慣れてしまっているんだと。1998年の10月に、僕が何を思い何をしていたのか、それをこうして記録に残しておくのは、決して愚かなことではない。

ちょっとばかり僕は観客を意識しすぎていたのかも知れない。毎日読みに来てくれるあなたのことを意識しすぎて、僕はいつの間にか僕個人としてのスタンスを見失いつつあったのかも知れない。

そんなことを考えて、結局もうしばらく日記は続けてみようかという結論に至った。ただ、毎日更新にはもうこだわらないだろう。書きたいときに書きたいことを書く、これをスタンスにしてこれからも細々と続けていきたい。「作業の神様」がやってきたら、それはそのときに考えよう。

他の日記者へのリンクを外し、背景色やテキストの色もとっぱらい、火曜日から昨日までの日記を書いてみた。これが僕の再出発なのか、ただ単なる気紛れなのかは、自分でも分からない。でも、これだけの変化でも、僕の心はとても軽くなったのだけれども。

明日も朝から更新するかも知れないし、今日の日記が最終回になるかも知れない。無理に決めるのはやめることにした。だから、もし運が良ければ、明日の夜にでもまた、ここでこうしてあなたとお会いしましょう。

心より。

立花。








 

Past/Takeshi Tachibana/Future


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