エッセイ日常

「考える」と「感じる」の違いを思い出す旅

エッセイ
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金曜日から三浦合宿セミナーに参加中。今日は最終日。

131027-01-1

セミナーについては後日また書こうと思っているのだが、ちょっとだけ今感じていること。

今回の合宿セミナーは、僕にとっては「考える」ことと「感じる」ことの違いを思い出す旅となっている。

というか、正確に言うと、「『感じる』とはなにかを思い出す旅」という感じだろうか。

僕にとって、長い間この2つの言葉は同じ意味に捉えられていた。

正しくは、「感じる」ことを封印して、なんでもかんでも「考える」ようになってしまっていたということなのだが。

 

 

大学生くらいまで、僕は人から「感受性豊か」とか「感性が鋭い」とよく言われていた。

僕は両親ともミュージシャンだし祖父は日本画家、祖母は歌手という芸術家一家の生まれだ。

だから、感性が鋭いと言ってもらえるのは嬉しかったし、ある意味「当然」と思っている部分もあった。

ところが、就職してサラリーマンになり、営業の仕事を始めてから状況は一転する。

当時の上司に「お前は感覚だけで仕事をしていてダメだ」「定性的ではなく定量的に考えろ」「すべて数字で考えろ」と徹底的に叩かれたのだ。

そして、サラリーマン社会で営業やマネジメントの仕事をしているにあたっては、感性よりもロジックを優先した方が効率的であることも確かだった。

僕は次第に感性を封印し、ロジックの世界で生きることになった。

 

 

そして2011年に僕は会社を独立してフリーのブロガーになり、作家やセミナー講師にもなった。

それから2年半、いろいろなことを経験する中で、僕の中で閉じ込めていた「感性」の扉が少しずつ開き始めていることを感じていた。

そしてここ最近、その傾向がとても顕著になっていたのだが、今回の旅で、やっと「感じる」と「考える」の違いが理解できるぐらいのレベルにまで回復してきたことを自覚した。

そうか、僕は「ただ感じる」だけでいいのか。それが僕が思った最初の感想。

ここ20年ほどの間、感じるためには理由が必要だと思い込んでいた。

ただ感じるだけではダメだと信じ込んでいた。

感じていると思って、考えていたのだということが、やっと分かった。

すごく久し振りの感覚が蘇ってきて、妙に嬉しいし、ちょっと照れ臭い。

 

 

「考えるな、感じろ」というセリフをどこかで聞いたことがある。

その言葉を聞いた時に、僕はなにか変なモヤモヤ感を抱いた。

きっとそれは、その時閉じ込められていた感性が、「おーい!ここだここ!僕の感性はここだよー」と僕をノックしていたのだろう。

でも当時の僕は感性を閉じてしまっていて、その言葉を聞くことができなかった。

そのことに、やっと気づいた。

時間がかかってしまったが、とにかくこの感じを取り戻せて良かった。

もうなくさないように、大切に育てていきたいと思う。

 

 

ここ2週間ほどに体験したり体感したことは、まだほとんどブログに書けていない。

合宿セミナー続きの日々も今日で一旦終わるので(来月またあるけど)、少しずつ整理してまとめていきたい。

今日のところは旅先からいま感じていることをそのままズルズルと出してみる。

セミナー最終日楽しんできます!(^-^)

 



 

 

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