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僕の中のDpubの原風景を見た [日刊たち No.39] - No Second Life
イベント日常日記

僕の中のDpubの原風景を見た [日刊たち No.39]

イベント
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「僕はなぜDpubをやろうと思ったのだろう?」最近そんなことを考えることがある。

実家のネコのクリちゃん。オス18歳!まだまだ頑張ってます!

 

 

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「僕はなぜDpubをやろうと思ったのだろう?」

僕の書籍「ノマドワーカーという生き方」にも書いたとおり、自分ブランド確立の戦略として動いていた部分もある。

でも、当たり前のことだがそれだけではない。

 

 

心の奥底から突き動かされるような衝動があり、「開催せねば!」という強い思いがあるのだ。

そしてDpubは開催していてメチャクチャ楽しいし、ワクワクする時間なのだ。

なんでこんなに心が動かされるのだろう?

その想いを形にしたいと思いつつも、どうにも言葉にできなかったし、多分このままずっと言葉にはできないだろうと諦めていた。

 

 

でも昨日、実家に帰って祖母と母と話しをしていて、ちょっとだけその理由が分かったような気がした。

それは僕の幼少期の体験とずいぶんリンクしているのだと分かったのだ。

 

 

僕の両親は僕が小学生の時に離婚して、母と祖母に育てられた。

二人は共にプロのミュージシャンだ。

祖母はクラシックのソプラノ歌手で、母はジャズのヴォーカル & ピアノ、弾き語り。

ちなみに離婚した父もプロのテナーサックス奏者だったので、我が家は音楽一家だったことは間違いない。

 

 

祖母は僕が生まれる前から自宅で音楽教室を経営していた。

高度経済成長期で豊かになった親世代は、こぞって子供にピアノを習わせたのだ。

当時はまだ音楽教室の数が少なかったこともあり、ウチの音楽教室に生徒が殺到した。

そして生活にゆとりができた大人たちも、当時流行だったポピュラーやジャズを習おうとうちの音楽教室にやってきてくれた。

 

 

僕が子供の頃には、音楽教室には生徒さんが100人以上いて、毎日午後から夜までひっきりなしに大人や子供が出入りしていた。

家の中に他人がわさわさいるのが当たり前という環境で僕は育った。

 

 

そして、音楽教室では、一年に2回くらい、頑張った成果を発表する「発表会」を開催していた。

当時は生徒さんの数が多すぎて、自宅の音楽教室には入りきらず、公会堂やホテルのラウンジを貸切にして発表会を開催していた。

僕の中で一番華やかだったのは、赤坂のホテル・ニューオータニの宴会場を貸切にして開催された時の発表会。

 

 

多分僕は小学生だったと思う。

スポットライトが当たり、キラキラとした場所とたくさんの知っている人の顔、顔、顔。

そして美味しい料理と楽しい時間。笑顔、笑顔、笑顔。

同じ場所でたくさんの人が時間を共有することの楽しさ、素敵さを僕は子供の頃に母と祖母のイベント運営を通じて見てきたのだと分かった。

 

 

ただ大人数が集まればいいというものではない。

そこには共通の「串」がないといけない。

音楽教室の発表会には、当然「音楽」という串があった。

楽器はさまざまで、ピアノ、唄、ギター、管楽器などなど。分野だってクラシックもあればジャズ、ポピュラーなどさまざまだ。

でも、音楽が好きでお金を払ってでも習って上手になりたい、という熱意のある人だけが集う場だから、無条件に盛り上がるのだ。

 

 

先生がいて生徒がいる。ゲストのミュージシャンがいて、作曲家がいて、見習いもいる。

そんな雑多な場所で、たくさんの人がニコニコ笑って演奏してそれを聴いて、食べて飲んでという時間を楽しんでいた。

子供の頃の僕はそんな場にいて、とにかく楽しかったし、その場を作り出している母と祖母を誇りに思っていたんだと気づいた。

 

 

だから僕は大人になって、Dpubをやろうと想ったんだと思う。

iPhoneやTwitterという共通の「串」を持つ人が集まって楽しくワイワイ語り食べ飲む。

そして場所はキラキラしている方がいい。そして食事は美味しいほうがいい。すぐに終わってしまうと寂しいから時間は長い方がいい。

 

 

これがDpubなのだ。

やっと分かった。分かって良かった。

自分の中に流れる血やDNA、それと子供の頃からの体験、そして大人になってから吸収したこと。

それが全部混じって、Dpubが生まれたんだ。

 

 

98歳の祖母は大正2年生まれのクラシック歌手だ。

クラシック歌手なので、ドイツ語もイタリア語も英語も勉強してそこそこは理解している(歌の歌詞が分からないと仕事にならないから)。

母は昭和20年、戦争が終わる2ヶ月前に生まれ、16歳の時からジャズ・ピアノを弾いて唄ってお金を稼いできたという。

二人ともカッコいいじゃないか、凄いじゃないか。

 

 

Dpubというイベントに僕がこだわる理由が今回の実家訪問で分かってきた。

それは、同じ分野への情熱を持つ人々がたくさん集った時に発せられるエネルギーの凄さを、僕は子供の頃に浴びて知っていたからなんだ。

あの熱を孕んだ場を自分で作りたい。その場に自分の身を置きたい。

それが僕を駆り立てるエネルギーなんだと分かり、凄く嬉しくなってしまった。

すべての行動には理由があり、その理由は一つ一つ裏でちゃんと繋がっている。

 

 

 

98歳のおばあちゃんは「ノマドワーカーという生き方」を読んでくれていて、「ちんぷんかんぷんだよ」と笑ってくれた。

かつては100人以上の生徒を擁した音楽教室は、バブル崩壊の影響で実家を売却することになり、その後は横浜の今の賃貸マンションで、数名の生徒さんを相手にだが今も母と祖母で運営を続けている。

僕の中で「子供時代」と「バブル時代」と「今」が一つに繋がった瞬間を体感できた。

僕は心から幸せだと感じた。そんな時間だった。

ノマドワーカーという生き方立花 岳志 東洋経済新報社 2012-06-01
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