13年連用 思うこと(独酔亭日乗)


4月13日 

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2008年4月13日(日) 雨 のち くもり

【また雨/更級堀井/LAST GIGS COMPLETE】

7時過ぎに起きるとまた雨。しかも寒い。この時期はどうしても雨が多いね。まあ仕方あるまい。

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昼ご飯は久し振りに「更級堀井」でお蕎麦。かき揚げかけを頼んだ。天ぷらは美味しかったがやはり別盛りで出て来たサクサクの天ぷらは、もうちょっと濃いつゆで食べたいな。でも寒かったから暖かいお蕎麦が食べたかった。

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午後は先日DVDが届いたBOOWYのLAST GIGS COMPLETEを視る。1988年の4月4日、4月5日に開催されたBOOWYの解散コンサート。僕は当時大学に入学したてで、東京ドームまでこのコンサートを観に行った。20年ぶりに観る彼等の勇姿にのっけからすっかり引き込まれてしまう。しかしコンサートが終わると、まるでたった今BOOWYが解散しちゃったみたいな気分になりがっくり←アホ

しかしアレだね、こうして20年経って改めて彼等の音を聴くと、このバンドはやはり氷室京介のバンドだったんだってことを実感する。氷室の世界観はBOOWYの時期もその後のソロでもあまり揺らがない感じだけど、布袋はソロもコンプレックスも、かなりBOOWY時代とは異なる世界観を作り上げていて、布袋はBOOWYを卒業して自分の世界を作り上げたかったんだろうと、解散はそうするべき時期が来たからなんだろうと実感する。

再結成は是非してもらいたいけれど、やはり布袋がもう一度氷室の後ろでギターを弾くってことが有り得るのかどうかだろうな。ずっと活動を続けるのは無理でも、同窓会ライブみたいな感じの再結成でもいいからやってもらいたい。

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ちんたらと部屋でワインなど飲みつつ適当にあるものを食べて夕食にしてしまう。夜はスカパーでK-1をやっていたので視てみる。極真王者テイシェイラのデビュー戦、噛み合ずもどかしかったがまあ勝てて良かった。次が楽しみだね。

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村上春樹、「ダンス・ダンス・ダンス」上巻を読了。

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今日の体重:95.0キロ(07年1月1日スタート時: 99.8キロ、4月末の目標: 92.8キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:72日(走れた日の日数)/170日(トータルの日数) 出走率:.424(一昨々年の通算.477、一昨年の通算.279、去年の通算.548)




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2007年4月13日(金) くもり

【5キロ新記録!/ビックリ!/買い食い週末】

5時15分起床。新しい携帯のアラームにも慣れてきたし、新心拍数計にも慣れてきた。

ウォーミングアップしてからジョギングに出る。いつものタイム計測標準5キロコースを35分。35分は新記録!これは嬉しい。最後はダッシュしてしまい疲れたが、去年の大晦日にジョギングを再開した当初はこのコースを47分かかっていたわけで、同じコースを12分早く走れるようになったというのはなかなか素晴らしい。次は30分を目指して、まずは34分を今月中に突破できるように頑張ろう。

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仕事。今日も明日の会議の資料作り。あれこれと手を入れていたら結局夜8時過ぎまでかかってしまう。もっともっと手を入れたいが、キリがないのでこれにて終了。

某お友達からメイルで、僕が先日ブックレビューに書いた本の著者についてビックリ情報をもらう。うひゃー、ビックリ。世の中ってせまい。

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ニナが今週も飲み会なのでまっすぐ帰宅。夜も遅くなってしまったし、今週はフードマガジンのお惣菜もマクドナルドも既に食べてしまい、積極的に食べたいものもないので、サンクスでサンドウィッチを買って帰る。味気ないが安いから良いだろう。

珍しく飲み会を終えたニナが帰ってくるまで起きていて、ちょこっと話してから眠る。

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今日の体重:94.2キロ(07年1月1日スタート時: 99.8キロ、3月末の目標: 90.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:99日(走れた日の日数)/169日(トータルの日数) 出走率:.586(一昨年の通算.477、去年の通算.279)


2006年4月13日(木) くもり 時々 雨

【山谷ブルース/資料作成】

数年ぶりにエドワード・ファウラー著、「山谷ブルース」を読了。この作品については、以前からきとんとした読書記録を残したいと思っていた。以下に記録を書いておく。

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山谷という町をご存知だろうか。東京都台東区日本堤から清川にかけての地区の旧町名で、地図からは西隣の吉原同様すでに山谷の名前は消えている。山谷の中心部である泪橋交差点付近は名作漫画「あしたのジョー」の舞台として有名になった。

人は山谷という町を、「ドヤ街」、「吹きだまり」、「寄せ場」、「スラム」などと呼ぶ。山谷には、おびただしい数の簡易宿泊所、通称ドヤがあり、建築業に従事する日雇い労働者が数多く宿泊している。この「山谷ブルース」は、アメリカ人文化人類学者である著者が、ひょんなきっかけから山谷の労働者の人々と交流を持ち始め、町の特殊性と人々の素顔に触れ、やがて自らもドヤに泊まり込み単純労働者として肉体労働に従事しながら綴った、渾身の東京ルポである。私の東京町歩きの原点となった本で、この本と出会わなければ、私は山谷の町を頻繁に訪れて酒場で酒を飲んだりすることもなかったであろう。数年ぶりに再読をしたが、やはり年月を経ても輝きを失わない名著である。

著者は我々に語りかける。山谷はスラムなのか、と。そこにはドヤに泊まるだけの現金を持たない通称アオカン者が、商店の軒下や公園のベンチなどそこらじゅうに寝転んでいる。実際に町を歩くと分かるのだが、路上に寝ている男の数は非常に多い。浮浪者が町に住み着いている例は他の場所でも見かけるが、これほど多くの男が路上で寝泊まりしている場所は他にはない。しかし、この町はスラムではない。

山谷地区の住民や商店主は決して富裕層ではないとしても、十分中流と呼べる生活を営んでおり、ごく一部の労働者向け商店の経営者以外は、ドヤに泊まる労働者とは全く交流を持たない。そして、ドヤで寝起きする男達は、スポーツカーが疾走する高速道路、キラキラと輝く超高層ビル、幸せな家族が入居する豪華なマンション、通勤者を迅速に職場に運ぶ地下鉄の新たな路線といった、都市生活者の基盤となる建築物を作るのに欠かせない、最も底辺の、単純で途方もない重労働を、破格の低賃金で提供する、東京にはなくてはならない人材バンクなのである。

「土建国家」と呼ばれる日本の建築業界は、大手ゼネコンをピラミッドの頂点とした幾層もの下請けシステムにより構成されており、寄せ場の日雇い労働者はそのピラミッドの最下層を担う。労働力は必要な時だけ招集され、賃金は日雇いで支払われる。景気が悪くなって仕事が減れば、労働者には声がかからなくなり、懐が寂しくなった男達はドヤ代を払えずに路上に転がることになる。日本を最下層で支えている路上の男達は、他の人達が嫌がる重労働を担いつつ景気悪化の際には自らが路上に寝転がるという方法で緩衝剤として機能する。国家の繁栄に貢献する、孤独な男達の住む町を、スラムと呼ぶことはできない。

戦後の混乱期から高度経済成長期にかけては、家がなくドヤに押し込まれる生活は決して特殊なものではなかった。国民はみな貧乏だったし戦争で家や家族を失った人も多かった。しかし、高度経済成長からオイルショックの停滞期を経て訪れたバブル経済期にかけて、国民の生活水準は一気に上昇し、戦後の混乱期と同じ生活スタイルのドヤの住民は、家を持たない特殊な存在となった。

山谷の男達は孤独である。男達は自分の過去を話したがらない。自己破産、犯罪、人間関係のもつれなど、何らかの理由で自分の身元を隠してドヤにやってくる男も多い。著者はドヤの男達と共に働き、酒を飲み、風呂に入り、そして仕事を得られなかった日(あぶれ)の焦燥感を呪う。著者が描くドヤの人々は、薄汚れた作業着を着た男達の集団ではなく、我々と変わらない一人ひとりの個性を持った人間で、より良い生活を求めつつも果たせず、人生に挫折して山谷に流れつき、酒に溺れ、年老い、体を壊し、絶望し、そして匿名のものとして死んでいく。

著者はドヤに住み込み労働者として働くうちに、関係がぎくしゃくしている妻とのアメリカでの生活を捨てて、このままドヤで働き続けたいという欲望にかられるようになっていく。この本のもう一つの魅力は、第三者として山谷の男達を客観的に捉えるという形ではなく、著者が一人の人間として人々と触れ合う心の変化をストレートに伝えていることだろう。作品の最後に山谷の男達と、いつになるか分からない再会を約束しアメリカへ帰国するところで本編は終わっている。

東京という広大な町の一つの顔をリアルに浮き上がらせている名著。是非呼んでいただきたい。

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仕事。意思決定ミーティングの後は、明日からのオフサイト・マネジメント・ミーティングのための資料作り。あと、昨日朗報を受け取ったZ社から、今度はガックリ落ち込むようなメイルが入る。昨日とは正反対の冷たい仕打ち。これは何なのだろう。ううう。落ち込んでいても仕方がないので、地道に一歩一歩進んでいこう。

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夜は早めにオフィスを出てまっすぐ帰宅。昨日の煮物にサンドウィッチを買い足して夕食。残業のニナが帰ってきた後で、ちょっと食べ足りなかったことに気づき、レトルトカレーを温めて食べてしまう。いかーん。

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今日の体重:98.8キロ(05年1月1日スタート時: 99.8キロ、4月末の目標: 96.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:56日(走れた日の日数)/172日(トータルの日数) 出走率:.326(去年の通算10/22まで.477)


2005年4月13日(水) 雨 時々 くもり

【さらに雨/大忙し/サンドウィッチとワイン】

まだジョギングはお休み中。天気も悪いし、今週は休養に充てようかな。

先月スキーに行った時に買ってきた味噌舞茸なるものをおかずに朝食。ピリ辛でなかなか美味い。

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相変わらず雨で寒い。ぶるぶる震えながら出勤して仕事。午前中は天王洲に行き、一旦戻って午後一番で今度は駒込。大忙し。帰社後は会議と面接乱発中。

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夜は8時ぐらいまで残業して帰宅。料理するのが面倒で、コンビニでサンドウィッチを買ってきて、赤ワインを飲みつつ食べる。赤ワインとサンドウィッチの組み合わせって、時々やりたくなる。

明日は晴れるらしい。暖かくなるといいな。

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今日の体重:94.0キロ(04年6月1日スタート時: 99.2キロ、4月末の目標: 92.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:73日(走れた日の日数)/173日(トータルの日数) 走り率: .422


2004年4月13日(火) 晴れ

【トマトソースパスタ】

今朝もジョギング。いつもの氷川神社コースの順周りを20分。少しずつ早く走れるようになってきた。

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今日も比較的早く会社を出た。図書館に寄って帰宅。平日の夜も図書館は結構混んでいる。

夕食は僕がトマトソースのパスタを作り、ワインを飲む。平日に僕が食事を作ったのは久し振りかも。

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ジョギング23日目。


2003年4月13日(日) 晴れ
【パン屋全滅/並木薮から喬太郎へ/六本木ヒルズ家族内覧会から十番で祝杯へ】

せっかくの休日だというのに6時に目が覚める。もう一度眠ろうと思いつつマックを立ち上げてアサヒコムを見たら、松井がサヨナラヒットを打ったと書いてある。眠気も吹き飛びテレビの電源を入れてしまう。あうー。

窓の外は昨日とはうってかわって好天。日記やメイル書いてるとニナも起きてきた。時計を見ると7時半。早く起きすぎたとぶーぶー言っている。何だか怖いので放っておくことに。

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ニナは間も無く再び眠りに落ちた。僕は何となく腹が減ったのでパンを買おうと思い家を出た。時計を見ると8時50分。家から一番近い「サンモリッツ(旧名花堂)」に狙いを定めて外出したのだが、定休日であった(泣)。

しばらく途方に暮れてから、十番商店街にある別のパン屋に辿り着いたがそこも閉まっていた。最後の頼みと訪れたフードマガジンは開店前で万事休す。なきながら家に戻る。

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昼前からニナと外出。まずは近所の南山小学校で東京都知事選に投票。投票は権利であると同時に義務である。バグダッドの民間人の人達は誰が大統領になるべきかを選ぶことができないんだよねー。自分を統治する人を選べる権利を有することの有難みを噛み締めつつ投票。

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投票を終え、十番から地下鉄を乗り継いで浅草へ。並木薮でビール飲みつつ板わさをつまみ、その後は天ざる一枚ずつ。それでも足りずにざる蕎麦を一枚ずつ追加。美味いよー。

それにしても、陽気のいいこんな日曜日の並木薮のお客はどいつもこいつも観光客ばっかりで、野暮な連中ばっかり。せっかくの並木薮の蕎麦なんだから、もうちょっとゆっくり味わいたいやね。

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蕎麦食って店を出て、いそいそと演芸ホールへ。今日は我々が好きな噺家、「柳家喬太郎」の高座があるので駆け付けた。

天気のいい日曜日の午後だけあって演芸ホールは満員。我々は向かって右前の方に座って落語や色物を堪能。喬太郎はもちろん最高だったが、他にも桂文楽がとても良かった。太神楽なんかも見られて大満足。

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昼の部の中入りでとっとと演芸ホールを後にして、再び地下鉄に乗って六本木に戻る。

今日は六本木ヒルズの家族向け内覧会である。僕もニナもMビルに家族はいないのだが、某Wさんが情報を下さり、家族向け内覧会に参加できることになった。

受付で登録して延々と並んで、エレベーターでギューンと52階に上る。

東京タワーの特別展望台を見下ろしている自分に驚く。いやーとにかく高いのだ。東京タワーの特別展望台よりも高い位置にいる自分というのを納得させるまでしばらく時間がかかる。

自宅も豆粒のように見えるし、通った小学校も中学校も、幼稚園までよーく見える。いやーこれは凄いよ。

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更にビックリしたのが、エスカレーターで地元系掲示場でお知り合いになったOさんご夫妻とバッタリ。ワイワイ喋りながら屋上に出て、びゅーびゅー風が吹く中を行ったり来たり。さらにOさんのマンションの住人の方のご案内で普通では入れない、メンバーズオンリーな場所にも入れていただいて、いやはや何とも。

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ハイアットホテルも見学。ひどく安普請なホテルを見て幻滅してから、最後の仕上げでニッカ池を見学。ようやくここに来られました。池はずいぶん変わってしまったけど、それでも何とか残った池だから、みんなで大事にしていきたいですね。

上の写真はライトアップされてそれなりにキレイなニッカ池。ニッカの工場の敷地内にあったからニッカ池。ですよね?>Oさん。

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Oさんご夫妻とそのまま宴会へと移行して、喜虎で乾杯。焼酎飲みつつわいわいやって、9時過ぎに解散して帰宅。いやー楽しかったですぅ。


2002年4月13日(土) 晴れ

ジョギング6キロの後、ニナと二人で外出。季節がいいので今日も大徒歩。

JRで南千住。泪橋の交叉点から明治通りに沿ってしばらく歩き、適当なところから土手通りにショートカット。しばらく歩いて吉原大門の交叉点。交叉点角の天麩羅屋、「土手のいせや」で天丼を食す。店の外で20分、店に入ってから30分ほど待ったが、ここの天丼は死ぬほど美味い。ビックリ。

店を出て、ソープ街を抜けて(何故土曜の昼に夫婦でソープ街を散歩せにゃならんのかはまあ置いといて)国際通りに出て、合羽橋の商店街をてくてく歩き、上野公園へ。

東照宮を見物したり、昔大仏が建っていた跡を尋ねたりしてから、最後は不忍の池へ。玉川さんがいるんじゃないかときょろきょろしたが見つからず。骨董市を適当に冷やかして今日の大徒歩は終了。ジョギングした後だったこともあり、脚がくたくたに。

6時頃帰宅。家に帰ってからも昼の天丼が効いてて全然腹が減らず、夕食は抜き。いやー、それにしてもいせやの天丼、おそるべし。

体の疲れが心地よく、適当に酔っぱらって寝てしまう。


2001年4月13日(金)

記載なし


2000年4月13日(木)

記載なし


1999年4月13日(火)

記載なし


1998年4月13日(月)

最悪のコンディション/伝言板は好きじゃない


1997年4月13日(日)

記載なし


1996年4月13日(土)

哲学するおやじがやってきた/初デート



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