13年連用 思うこと(独酔亭日乗)


5月24日 

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2008年5月24日(土) くもり 一時 雨

【パリ二日目/パリ大徒歩第一章/ひたすら歩き、カフェで飲む】

パリ滞在二日目。6時過ぎに起き出す。夜は極端に日が暮れるのが遅いが、朝はそれなりの時間に日が昇るようで、ウェブによると日の出が5時58分。サマータイムもこれだけハッキリとやると効果があるよな。確かに明け方4時から明るかろうが6時から明るかろうが影響がある人は少ないが、夜8時まで明るいのと10時まで明るいのとでは大分印象が違うし、行動パターンにも変化があるように思う。日本ぐらいの緯度だと効果はどうだろうか?

時差ぼけはほとんどなし。往きの飛行機の時間帯が良かったので助かった。やはり時差調整には、ひたすら寝ないで我慢して、移動先の時間帯で、普段寝ている時間に寝るのが一番良いような気がする。

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体も元気なのでさっそく活動を開始。ホテルにもコーヒーコーナーがあって朝食は料金を別途払えば食べられるのだが、せっかくパリに来て何もホテルで朝食を食べなくてもいいだろう。

ニナとともに支度をして8時前に宿を出る。

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地図を頼りに適当に歩き回り、目についたカフェで朝食。上の写真が僕らが入ったカフェ。

僕はクロワッサンとカフェオレというパリ的朝食。ニナはトーストにオムレツ、それに紅茶という、イギリス的朝食。クロワッサンと一緒にバターを塗って縦に細く切ったフランスパンが出てきたのだが、これがとても美味しい。ニナのオムレツも一口もらったが、これもかなりレベルが高い。パリジャン恐るべし。

食事を終えてシャンゼリゼに出て、凱旋門を目指して歩く。シャンゼリゼは昨日も荷物を引き摺りながら歩いたが、正直ちょっと道幅が広すぎて、そして観光客が多すぎる。日曜の午後の表参道みたいな感じで、僕らの好みではなかった。でもまあとてもきれいな通りではある。

そして凱旋門。9時前に到着したのでまだあまり観光客がいなくて余裕を持って見ることができた。区画整備とかは日本人は本当に下手くそだと改めて実感。でも江戸徳川幕府の区画整理は見事だったわけで、明治以降の政府がへたくそなだけなんだろう。いずれにしてもこの凱旋門からシャンゼリゼにかけての一角の整備のされ方は徹底している。

上の写真は凱旋門の内側を下から撮ったもの。凱旋門にはびっしりと彫刻(でいいの?)が入っており、大量に写真も撮ったのだが、キリがないのでこの一枚だけ。しかしこれを作り上げる時間と手間は猛烈なものであっただろう。権力の象徴だね。

こちらは第二次大戦の無名戦士の墓。凱旋門を作らせたのはナポレオンだが、第二次大戦でドイツ軍に占領されたパリを奪還した時に、ドゴール将軍率いるフランス軍は凱旋門を抜けてパリに行進し、戦後無名戦士の墓もここに作られている。凱旋門は歴史の遺物ではなく、今も進行形でフランス人の心に生きている建築物なのだ。

こちらは凱旋門からコンコルド広場に向けてのシャンゼリゼ。ひたすらまっすぐ。

写真を撮りまくる欧米観光客の姿を映してみる。よく、「日本人は海外旅行で写真ばかり撮っている」と自虐的に揶揄されるが、ほーれ欧米人だって皆写真を撮りまくっているのである。

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9時を過ぎたら一気に観光客がどっと押し寄せてきたので慌てて凱旋門を後にする。修学旅行で来ていたフランス人の女の子が、シャンゼリゼをダッシュで渡りながら片手を高く掲げ人差し指をまっすぐに伸ばし、「シャンゼリゼ!シャンゼリゼ!」と叫んでいたのがおかしかった。

で、我々は徒歩でエッフェル塔を目指す。宿から凱旋門までも地下鉄があるし、凱旋門からエッフェル塔までだって地下鉄があるが、僕らは徒歩人なのでひたすら歩くのである。町並みを歩いて通過することで、初めてその街のことをきちんと知ることができるような気がするから。

上の写真は通りすがりのカフェ。ほとんどの店が朝から開いていて、朝食を提供している。チェーン店らしきものはスタバやマクドナルドぐらいで、道端のカフェは皆一軒ずつ個性があってとても楽しい。しかしスタバやマクドナルドはパリで営業してて儲かるのだろうか。どちらもあまり流行っているようには見えないのだが。

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ちょっとした町並み。二本の路地がいかにもヨーロッパという感じで美しい。建物の雰囲気も全体的に統一されている。

路地の隙間からエッフェル塔が顔を出した。個人的にはこの写真はとても好き。

これもちょっとした町並み。建物のすべての窓に同じ花が植えられていて見事な統一感。こういうのって日本人の発想にはなかなかないよねえ。

そうこうしているとエッフェル塔が見えてきた。エッフェル塔はセーヌ川沿いに建てられていて、川を挟んだ反対側が公園になっていて、これも見事に放射線状に区画整備されている。計画的に街が作られていて素敵だ。

セーヌ川を渡ってエッフェル塔の麓に向かう。この一帯にはアフリカ系やイスラム系の物乞いや物売りがどっと繰り出していて、非常に治安が悪い感じ。お金やパスポートが入ったウェストバッグに常に手を置いていないと不安。アフリカ系の人々は、日本で良く見かけるアメリカ系の人達とはまたちょっと違い、アフリカのフランス植民地だったところから移住してきた、バリバリのアフリカ人が多い。中には片言の日本語でおみやげ品を売りつけようとする者もいる。

イスラム系はボスニア人の物乞い女性が複数いた。難民としてパリに逃げてきて、帰れなくなってしまったのだろうか。気の毒ではあるが、施しはしなかった。

どーんとエッフェル塔。

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エッフェル塔の麓で飲み物を買ってしばし休憩してから大徒歩を再開する。セーヌ川に沿ってルーブルやポンヌフがある方面に歩いているつもりが、間違えて30分ほど逆向きに歩いてしまった。でも、間違えたおかげで自由の女神に会えた。ニューヨークに送られた自由の女神のオリジナル版。早く逆方向に戻りたかったので正面からは写真を撮らなかった。

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さっききた道をてくてくと戻り、エッフェル塔を再び通過して、アルマ橋周辺でお昼を過ぎたのでランチにする。ところがこの一帯は観光地だったため、ブラッセリーやカフェも大混雑で、しかもどこも値段が高い。あまり下調べをしていなかったので、パッと目についた魚料理のレストランに入ってみたが、ユーロが高いこともあってお昼ご飯としてはかなり割高になってしまった。白身魚のカルパッチョとサーモンのソテーを頼んだのだが、ウェイトレスのお姉ちゃんが、我々が前菜とメインを一品ずつしか頼まなかったので結構露骨に嫌な顔をする。観光地の従業員はスポイルされているのだなあ。

でも料理はまあまあ美味しかったし、テラスで周囲のフランス人達がのんびり食事をするのを眺めながらビールを飲んでいると、何とも良い気分。ああ、パリに来たんだなあ、と実感する。

ウェイトレスがデザートの注文を取りにきたのでアイスクリームを二つ注文。これでデザートもいらないと言ったらどんな顔をされるかと思い、それほど欲しかったわけでもないのに頼んでしまった。アイスクリームが一つ9ユーロだから、約1,500円である。高い!

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食事を終えて再び歩き出すと、間もなくアレクサンドル3世橋である。何だかキンキラキンで妙な感じなのだが、欧米人はこの橋がお気に入りのようで、あちこちで記念撮影をしている。そしてパリに来てもやはり、僕は写真を撮ってくれと頼まれるのである。今回もフランス人観光客から頼まれて写真を撮ってあげた。

ちなみにエッフェル塔前に戻ってきて、ベンチに座ってちょっと休憩していると、やはりフランス人観光客から、「シャンゼリゼはどっちかしら」と尋ねられた。幸い道が分かったので、「あっち」とフランス語で教えてあげられた。しかしどうして僕はしょっちゅう写真を撮ってくれと頼まれたり、道を聞かれたりするのだろう。

こちらはオルセー美術館。今回は美術館巡りをする時間はなかったので外観だけ。お昼を食べている間にすっかり天気が悪くなってしまい、オルセーの前を歩いていたら雨がポツリポツリと降り出した。

六本木ヒルズにある蜘蛛のオブジェのオリジナル。こんなところにオリジナルがいるなんて知らなかった。ルーブルのお庭。この頃にはかなり雨が強くなってきて、観光客も皆小走りに雨から逃げ始めた。

これもルーブル周辺。歩道に屋根があるのでそこに逃げ込むことにすると、お土産屋で折り畳み傘を売っていたので購入。5ユーロ。

傘を差して今逃げてきた道を今度はゆっくり戻る。これがルーブル美術館かあ。次回は是非入ってみたい。

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そこら中に歴史的建造物があって、もう何がなんだか分からなくなってくる。普通の建物でも皆やたらと歴史的な感じで、キョロキョロして歩いてしまう。

そしてついにやってきました。本日の最終目的地、ポンヌフです。日本語で言うと「新橋」。レオス・カラックスの映画、「ポンヌフの恋人」の舞台になった橋ですね。どうしてもここは訪れてみたかった。メトロで来ればあっという間なんだけど、やはり歩いてきたかったんだよね。

雨の中、それでも結構な観光客が出ていた。橋の周辺は妙にたくさんの土産物屋が出ていて、ちょっと前までの浅草伝法院通りとか、上野の池之端みたいな風情が多少ある。お天気が良かったら最高だったのに、とちょっと残念に思いつつも、それでも満足。

ここまで来ると、ノートルダム大聖堂も近いし、サンジェルマンも徒歩圏なのだが、いかんせんすっかりくたびれてしまった。ポンヌフのすぐ脇にあるカフェ、その名も"Le Cafe du Pont Neuf"でワインを飲み、しばし休憩。隣の席にはフランス人のおっさんが3人、パスティスにチーズで昼飲みを決めている。いやーいいねえ。

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というわけで本日の大徒歩はポンヌフを最終目的地にし、一旦ホテルに戻ることにする。帰りはセーヌ川沿いではなく、昨日先に到着したニナが途中まで散歩したという、ルード・サンノートレという通りを歩く。裏道も強烈な建物のオンパレード。もう面倒になってきて、どの建物が何なのか、あまり調べなくなってきてしまった(笑)。

ちょっとした町並みのスナップショット。パリの人達は裸のフランスパンを手にもってさっさと歩いている人が多い。そして、歩きながらそれをがぶがぶ齧っている人もいたりする。フランスパンを丸かじりしながら歩いてる人って、日本では見ないよなあ。

ちなみに上の写真にはベンツが写っているが、パリではプジョーが一番数多く走っている。ベンツやアウディなども見かけるし、トヨタ車もそこそこいる。

ルード・サンノートレを歩いていると、日本料理屋が並んでいる一角を発見。「野田岩」は麻布飯倉のあの鰻屋さんのパリ支店。流行っているのかねえ。

上の写真はマドレーヌ教会。歴史的建築物を見すぎてしまい、「ふーん」ぐらいにしか感じなくなってしまった。疲れていたしね。

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大徒歩を終えて一旦ホテルに戻る。ニナも僕も脚が棒のよう。いやはや良く歩いたね。しばしぼんやりとして、疲れを癒す。

そして夜になってから再び外出。夕食も適当に目についたブラッスリーで食べようと言ってホテルを出て、サン・ラザール駅を越えた先あたりにあったブラッスリーで食事。正面には上の写真のサント・トリニテ教会がどーんと。上の写真で夜8時半ぐらいだが、まだまだ夜という感じではない。

こちらが僕らが入ったブラッスリーの写真。料理の写真を撮るのがどうも苦手で(お店に遠慮してしまう)、外観だけ。夏のサラダ、牛肉のカルパッチョ、キッシュ、リブアイステーキを食べ、赤ワインを飲む。料理の量が多くて全部食べきれなかった。対応してくれたジェフ君は、オーダーに関する英語だとかなりいける。ちょっと入り組むと分からなくなってしまうが、でも一生懸命サーブしてくれて気持ちが良かった。昼の高級レストランよりずっと心のこもった良いサービスだったね。

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食事を終えてホテルまでまた歩いて帰る(笑)。途中オペラの建物を発見。オペラもいつか見てみたいなあ。

さらにこちらはプランタン。工事中だったが、フェンスに建物の絵が書いてあり、景観に対しては本当に細かく気を使っていることが分かる。

ホテルに戻ると10時前。まだまだ夜はこれから、と思いつつも、真っ暗になる前に既に眠くなり、あっという間に寝てしまう。

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今日の体重:95.2キロ(07年1月1日スタート時: 99.8キロ、4月末の目標: 92.8キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:84日(走れた日の日数)/208日(トータルの日数) 出走率:.404(一昨々年の通算.477、一昨年の通算.279、去年の通算.548)




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2007年5月24日(木) 晴れ

【休養/二日連続の飲み】

ジョギングは足の痛みのためお休み。もっとも今朝は昨日遅くまで飲んでしまい朝寝坊したので足の痛みがなくても休んでいたかも。

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夜は今日も会社のメンバーで飲み。昨日に続いて二日連続である。最近平日に二日続けて飲むなんて滅多にないのだがそれなりに元気で楽しく過ごせた。

11時過ぎにお開きになって、今日はちゃんと電車で帰宅。

酔っているせいか足の痛みがすっかり取れたような気がする。明日の朝が楽しみだ。

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アレ?下の過去日記を見ると一昨年も足首を痛めているようだ。なんだ進歩のない男だなあ。

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今日の体重:93.0キロ(07年1月1日スタート時: 99.8キロ、5月末の目標: 89.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:130日(走れた日の日数)/210日(トータルの日数) 出走率:.619(一昨年の通算.477、去年の通算.279)


2006年5月24日(水) 晴れ のち 雨

【3キロ/晴れているが傘を買う/正解】

5時半過ぎ起床。このところ労働時間が長く、なかなかジョギングできないのだが、多少仕事が忙しいから走れないというのも情けないので、そろそろ体をハードな環境に順応させようと思う。

というわけでジョギング。帰ってくる時間が遅くても、遅い時間にバカ食いしないことと、無意味に夜更かししないことを守っていれば、特に目覚めに問題はない。要は精神的に切れてしまい、酒を飲みながらずるずると夜更かしをするというのが最もいけないパターンだ。

家を出ると体は比較的軽く、長く走ることもできそうだったが、いきなり長く走ってダメージが残ると嫌だったので3キロで戻ってくる。以前書いたとおり、ダイエットという意味では3キロ走では効果がないことが分かっているのだが、まずは忙しくてもなるべく毎日走れる状態にしたいので、出走率を高めることを優先させることにする。

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テレビの天気予報で夕方から雷雨と言っていたのだが傘を持って出るのを忘れてしまい、コンビニで傘を買う。空は青空だったが、会社の置き傘を家にもって帰ってしまっているままだったので、雷雨があると困るので。

仕事は今日もひたすら実務をこなす。新人のN君も少しずつ慣れてきたようで何よりだ。

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夕方から天気予報通り雨が降り出して土砂降りに。やれやれ、傘を買っておいて正解だった。

今日も8時過ぎまで残業して帰宅。ニナがクリームソースのスパゲッティを作ってくれていた。ありがたや〜。

今日もちゃんと早く眠くなる。一日が短いなあ。

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今日の体重:97.0キロ(05年1月1日スタート時: 99.8キロ、4月末の目標: 96.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:64日(走れた日の日数)/212日(トータルの日数) 出走率:.302(去年の通算10/22まで.477)


2005年5月24日(火) 晴れ のち くもり 一時雷雨

【足首回復せず/キャンセル/粗大ゴミ出したり餃子焼いたり】

5時過ぎ起床。今朝もやはり足首が痛くてダメだ。昨日よりもひどくなっている感じがする。こういう場合、どういう治療をすれば良いのだろうか。単純に思いつくのは、炎症を止めるために冷やし、固定する、ということだと思うのだが。西洋医療に行っても直らなさそうだよなあ。どうしよう。

というわけで今日もジョギングできず。今月は.800台で走っていたのでとても残念。それにしてもいつ故障したんだろう。土曜日9キロ走った時も、日曜日に3キロ走った時も足首は何ともなかった。眠っている間に捻ったのだろうか。不思議だなあ。

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今日は早朝ミーティング。K子さんが先週の宴会の時に作ってきてくれたチーズケーキで朝食を食べ、コーヒー飲んで早めに出勤。K子さん上手だなあ。

今日は九段のT社訪問予定が入るはずだったのだが、部長さんの都合が悪くなってキャンセル。おかげで少し時間に余裕ができた。たまにはこういうキャンセルもありがたいかも。外出がなくなったので一日社内であれこれ調整。

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ニナは飲み会とのことで僕は残業してから帰宅。今日も激しい夕立。今日はしっかり傘を持ってきた。ピーコックで粗大ゴミの券を買ったり、シャンプーやリンス、それにボディーソープなどを買ったり。2?の水も買ったら、両手がちぎれそうに重くなってしまった。傘も差しつつヒーヒー帰宅。

帰宅後は粗大ゴミを出したり洗濯したり餃子を焼いて食べたりと細々とあれこれ。足首は夜になると少し痛みが和らぐようだ。朝が一番痛いのだが、これは眠っている間に体が固くなるせいだろう。明日の朝も痛かったら、ちょっと治療について考えないといけない。

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今日の体重:93.8キロ(04年6月1日スタート時: 99.2キロ、5月末の目標: 91.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:100日(走れた日の日数)/214日(トータルの日数) 出走率: .467


2004年5月24日(月) くもり のち 晴れ のち 雨

【超早起き/隅田川/カレーうどん】

仕事のことが気になっていて、4時半頃に起きる。5時まで布団の中にいたが、起きてしまってさっさと会社に行くことに。さっさとシャワーを浴びてさっさと家を出て、6時頃にはオフィスに着いていた。

人のいないオフィスは仕事が捗るなー。9時前には懸案事項は全部片付いていた。

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仕事。午前中は某国立大学の歯学部教授に挨拶。「クリーンにね」と繰り返す某教授の姿が、ついつい鵜飼教授に見えてしまう。わはは。

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午後も外出。I君と一緒に箱崎方面。時間が10分ほど余ったので二人でぼんやり隅田川を眺める。空はすっかり晴れ上がり、気持ちがいい。ちょっと一息という感じだ。リフレッシュしたおかげか、その後のプレゼンもうまくいった。しかしこのお客さんのオフィス環境はいいな。オフィスのすぐ側を隅田川が流れているなんて。花火大会の時はさぞかし眺めがいいだろう。はっ(以下自粛)。

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さすがに眠いので早めに切り上げて帰宅。十番の駅を出たら雨が降って来て驚く。一旦家に着いたが雨脚がひどくなってきたので、一足遅く駅に着いたニナを迎えに傘をさして駅ちかくまで行き、二人で「くろさわ」でカレーうどんを食べる。ニナはこの半年ぐらいずっと「カレーうどんが食べたい」と騒いでいて、騒いでいる割にちっとも食べないので、一緒に食べに行くことにした。カレーうどんは豚の角煮のスライスしたのが乗っていて、1,200円ぐらい。ちょくちょく食べるには高すぎるが、たまにはまあいいか、という感じ。美味しかったし。

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明日は千葉で接待。受ける方なので気は楽なのだが、それでも遠い。


2003年5月24日(土) くもり
【休日出勤してシステム入れ替え】

十番商店街のマクドナルドで朝マック食べて10時前に出勤。協力会社の人々もすぐにやってきてシステム入れ替え作業開始。午前中は僕は暇で広報誌の原稿書いたりして時間を潰す。原稿書きに飽きたらトランプゲームなど。

昼休みは一人でオムライスを食べ、午後からは僕も作業に参加。夕方には終わる予定だったが、細かい問題があれこれ出てきて結局10時頃に終了。ファイルサーバとストレージとバックアップテープデバイスが新しくなり、ネットが100Mbpsの光になった。あと、サーバ間のデータが、1000baseになった。やれメデタイ。

SIのみんなと遊泳禁止に繰り出して飲み。電車がなくならないうちにということで11時半頃に店を出て帰宅。

何とか明日は出勤しなくてもいい模様。はひー。


2002年5月24日(金) くもり 時々 雨
5時50分起床。昨夜遅かったので眠い眠い。コーヒー飲んでシャワー浴びたら少しスッキリした。ニナは有給休暇なのでまだ爆睡中である。

通勤電車の中で、「日本の歴史08 古代天皇制を考える」読了。

7つの章を、7人の著者が古代から中世にかけての天皇と天皇制について、歴史の流れに沿って異なった側面から見つめている。

この「日本の歴史」シリーズを読み始めてから、現代の日本と日本人が抱える問題の出発点は平安時代初期の、藤原道長の時代、つまり摂関時代に骨格ができ上がっているのではないかという思いが強くなってきたのだが、この本を読んでその思いが強まった。

古墳時代、奈良時代においては天皇というのは中国の中華思想に対抗する存在であり、また歴代天皇が交代するということは、王朝のシステム自体が変更されるということであった。簡単に言うと、中国の皇帝というのは神からの天命を受けた絶対的な存在であり、周辺各国の王というのは、中国の皇帝に仕える存在となる。が、日本はその中国に仕える「王」としての存在を否定し、皇帝と対等の存在として、「天皇」という存在を作り出したということである。中国の皇帝は神の天命を受けるだけだが、日本の天皇は神の直系の子孫なのだから、インパクトはより強烈である。

ところが中国との国交が途絶し、目の前の外敵がいなくなってしまったことにより、日本は軍隊を持たない国となり、せっかく整備した律令制度も崩壊して、なし崩し的、超適当モードの国へと変質していいってしまうのだ。

そんな中で藤原道長が作り上げた摂関から院政へのシステムは、天皇を個別の権力者から、システムへと変質させていく。天皇が頂点に君臨するという古代のシステムでは、できの悪いやつが天皇になってしまった場合(そして天皇は世襲なのだからできの悪いヤツがなってしまう可能性が結構あるわけだ)世の中がぐちゃぐちゃになってしまう。そこで摂政・関白を置き(後にはまともな天皇が上皇・法皇として天皇を補筆し)、万世一系の天皇を周囲のシステムが補完することによって、天皇はシステムになり、清和天皇や安徳天皇みたいに、4歳だとか7歳だとかで即位ってことが可能になってしまったのである。こうなってくるともはや天皇自身の権力なんてないに等しくて、周囲が祭り上げなきゃただの子供なのであって、完全に傀儡なのだが、それが傀儡に見えないように摂関や院がシステムが守っているわけである。

国として軍隊を持たなかったせいで武士が勝手に成長し、抑えが効かなくなって武士が権力を握る鎌倉時代への流れを見ていても、やってることは開国から第二次大戦への流れにそっくりだな、と思わされる。いろいろと根が深いもんなんだねえ。

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仕事は少し落ち着いてきたかな。今日は社長と部長が出張でいないので、僕が責任者である。別に責任者だからって何てことはないのだが、特別何もトラブルがなく終わってホッと一息。

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7時頃に会社を出て、ワインやバーボンをたっぷり買って帰宅。帰宅したらもうmamikoさんが先に着いていて、ニナと飲み始めていた。mamikoさんに三つ指ついて迎えられる(笑)

あーだコーダと色々話してニナ作の祝祭的料理を食べ、ワインを飲む。mamikoさんやっぱりあれだけ歌うだけあって、笑い方も豪快である。お土産をたくさんもらう。ありがとう。

9時過ぎに真也さんが到着。職場の仲間や学生を引き連れて5人で登場。Maryは日本に来たばかりで日本語がまったく分からないらしく、最初は僕もしばらく英語を喋っていなかったので英語が出てこなくて難儀する。30分ほどすると、自然と体が英語に慣れてきて喋れるようになる。

ワイワイ音楽聞いたりお酒飲んだりして騒ぎ、真也さん達御一行は夜中前ぐらいにぞろぞろと帰っていった。

残ったmamikoさんとニナと3人で喋っていたのだが、だんだん眠くなってきて、1時頃に撃沈。僕が眠った後に真也さんが戻ってきて、仮眠してから帰っていったそうだ。全然気づかなかった。

いやー、久し振りに家で宴会やって、すごく楽しかった。

吉祥寺名物、焼き鳥屋いせや。これは今年の3月に花見に行った後、まいさんとアキラ、それにジョゼフと一緒に立ち寄った時の写真。


2001年5月24日(木)

記載なし


2000年5月24日(水) 晴れ のち くもり

仕事帰りにブチョウと同僚の百地さんと、会社の近所の蕎麦屋で飲む。ビール、ハイボールの後で、日本酒を二合ほど。

店を出て、ブチョウが帰ってから、百地さんと二次会へ。駅の近くの庄や。先週の金曜日に「よしむら」で飲んだのと同じ、「北雪」という日本酒を三合ほど。「よしむら」のメニューでは、「北雪」は日本酒度+13だったのが、庄やのメニューでは、日本酒度+3だったのが興味深い。統一規格ではないらしいな、日本酒度というのは。

平日に珍しく日本酒など飲んだので、へろへろに酔って帰宅。上機嫌で色々と不明なことを呟いて眠ったようだ。

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今日の体重:88.8キロ(12月23日スタート時95.8キロ、今月の目標87キロ)、今日の体脂肪率:25.5パーセント(12月23日スタート時28.8パーセント)

今日のジョギング:5キロ、40分、心拍数ターゲット140(今週累計20キロ、今週の目標30キロ)。


1999年5月24日

アンケート「アンディと言えば?」


1998年5月24日

カツオ君の声優さん交代


1997年5月24日

sex.html他


1996年5月24日

記載なし



昨日作者について明日

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