13年連用 思うこと(独酔亭日乗)


10月19日 

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2008年10月19日(日) くもり 時々 晴れ

【12時間睡眠/さらに昼寝】

外が薄暗い時刻に目が覚めてiPhoneで時刻を見ると6時。まだちょっと早い、と思い再び眠り、次に目が覚めると何と10時40分。昨夜は10時半過ぎに寝たので、何と12時間睡眠。このところなかなか長時間睡眠ができないのだが、今日は嫌というほど寝た。寝過ぎで背中が痛い感覚は久し振りだ。

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今日もRemember the Milkのタスクを続々とこなしていく。本当に家がどんどんキレイになっていくのは素晴らしい。あとは窓ガラス掃除を場所ごとに組み込みたい。台所の床の拭き掃除も。

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午後遅めから遅めの昼食兼早めの夕食ということでフライ大会。昨日買ってきた肉と野菜がほとんどそのまま使えて効率が良いね。

スカパーでF1中国グランプリ決勝を見たり。ハミルトンがポール to Winで詰まらない。しかし今年のF1もあとはブラジルグランプリでもうおしまいか。

F1が終わった頃から眠くなってさらに昼寝。脳味噌が溶けて耳から出てきそう。

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夜は野球。セリーグのプレイオフを見たり。阪神が中日に勝ちそうな感じ。やっぱり2勝したからといって中日が巨人と優勝決定戦というのはどうにも納得いかないので、阪神はしっかり勝っておくと良い。

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あんなに寝たのにまたちゃんと眠くなるもんだなあ。今夜もさっさと眠って明日は走ろう。

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今日の体重:93.2キロ(07年1月1日スタート時: 99.8キロ、6月末の目標: 92.8キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:119日(走れた日の日数)/360日(トータルの日数) 出走率:.331(一昨々年の通算.477、一昨年の通算.279、去年の通算.548)




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2007年10月19日(金) 晴れ

【玉子ご飯/秋晴れ/システムダウン】

昨日で明太子を食べ切ったので今朝は玉子ご飯。玉子と醤油とご飯のブレンド具合が抜群で、食べていて感動してしまい、「うーむ」と唸ってニナに笑われる。だってよぉ、あまりに美味かったんだよぉ。

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秋晴れで気持ちが良い一日。午後市ヶ谷でS田さんにご挨拶。

せっかく良い感じで週末を迎えられそうだったのに、夕方になってVPNのシステムが原因不明のダウン。あれこれ対策を講じたがサポートなどが閉まってしまう時間帯だったためどうにもならずタイムアップ。月曜日は朝からユウウツなことになりそうだ。

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夜は四ッ谷方面で接待。鬱憤が溜まっていたのか二次会に流れ、テキーラなど飲んでしまった。日本酒の後にテキーラってのは効くねえ。

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今日の体重:96.0キロ(07年1月1日スタート時: 99.8キロ、10月末の目標: 93.8キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:196日(走れた日の日数)/360日(トータルの日数) 出走率:.544(一昨年の通算.477、去年の通算.279)


2006年10月19日(木) 晴れ

【南の島計画/頑張ってパスタを作る】

今日も朝寝坊。7時前に起き出して急いで支度をする。今日も朝ご飯が食べられなかった。せっかくニナが津軽で買ってきてくれた筋子があるのに勿体ない。

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昨日の夜南の島計画の日程などが確定し、同級生で某大手代理店に勤めているK地に連絡をしておいた。今日から25日までK地は添乗のため不在とのことだが、予約さえ取れればこれで骨格が確定する。あとは旅行中の過ごし方を決めれば良い。ああ楽しみだ。

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昼はたまち屋でたぬき蕎麦&穴子ちらしセット。

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夜は今日も僕が先に帰宅。面倒なので外で飲んで帰りたいが、ぐっと我慢して料理を作る。作り始めたら結構気合いが入った。ニナも間もなく帰宅。ナスとズッキーニとソーセージを入れてガーリックと赤唐辛子を効かせたオイル味のパスタとレタス、トレビス、キュウリのサラダ。面倒臭がっていた割りにとても美味しくできて大満足。

食事の後はさっさと寝室に移動して旅行の計画を立てる。オプショナルツアーのことをあれこれ考えていたら心の底から旅行に行きたくなってきた。早くいきたい。

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今日の体重:97.6キロ(05年1月1日スタート時: 99.8キロ、10月末の目標: 96.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:102日(走れた日の日数)/360日(トータルの日数) 出走率:.283(去年の通算10/22まで.477)


2005年10月19日(水) くもり

【「ふるさとは貧民窟(スラム)なりき」/ちょっと一杯】

小板橋二郎著、「ふるさとは貧民窟(スラム)なりき」を読了。

幼少期を板橋の岩の坂で過ごした著者が自らの当時の生活を回想しながら綴る、貧民窟での生活。内容は大きく二つの章に大別される。一つは戦前の、「スラムのプリンス」と呼ばれた、裕福な家庭の時代。もう一つは父を亡くし母子家庭となった後の、戦後の悪童時代。幼年期の記述は常に父の愛情に包まれた幸福な日々の描写が多く、著者自身も述べている通り、住まいはスラムに近かったが、家庭も裕福で、何一つ困ることなく育った少年の目に映った、木賃宿に暮らす人々の描写などが、ある意味他人事のように淡々と書かれている。著者が幼すぎて記憶が曖昧なため、時代の前後関係や人間関係などがあやふやで、断片的になってしまっているが、それ故に余計な部分が削ぎ落とされ、おとぎ話のようになっている。

それが父を亡くし空襲で家が焼けてしまい、自分自身もスラムの一員として暮らして行くように鳴る後半は、描写がぐっと鋭くなり、描かれているエピソードも多岐に渡り、みずみずしくなる。ただ、後半は戦災により焼け出された人々というアングルで描かれているため、都市型貧民窟というよりは、戦後の混乱と貧困の描写という感じになっている。「パンパンガール」、「ヒロポン中毒」、「ヤクザ」など、前半の幼年期とは打って変わって大人の世界が次々と登場する。

「スラム」「貧民窟」というと、無職の人間や犯罪者などが集まる絶望的な場所、ととらえられがちだが、少なくとも日本の明治以降のスラムの多くは、単に貧乏な人達が固まって暮らしている場所であって、金はなくても普通に人々は暮らしている、というのが著者の主張で、明治以降の貧民窟について紹介している「最暗黒の東京」や「日本の下層社会」などの紋切り型でスラムを別世界として紹介する著述を痛烈に批判している。

著者の回想は幼年期を過ごしたふるさとへのノスタルジアが強く出過ぎて、美しく描写されすぎている点もあると思う。しかし、だからこそ、当時岩の坂に暮らした人々の描写は生き生きと描かれているとも思う。

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さて日記。

月、火と雨がザーザー降ってジョギングできず二度寝していたら、リズムが夜にずれてしまい、せっかく雨が上がったのに寝坊して走れなかった。いかん。

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仕事の後はニナと合流して「ささ木」で一杯。ビールの後ホッピーを飲みつつ、軽くつまむ。前はホッピーの中と外を別々に出してくれなかったのだが、今日は外を瓶のまま持ってきてくれたので、中のおかわりができた。

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今日の体重:97.0キロ(04年6月1日スタート時: 99.2キロ、10月末の目標: 95.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:172日(走れた日の日数)/362日(トータルの日数) 出走率: .475


2004年10月19日(火) 雨

【また雨/ひたすら旅行記書き/デジカメプリント】

6時半頃起床。平日とあまり変わらない時間に起きているが、今日も休暇。昨日まではあんなに良い天気だったのに、今日は朝から雨。嫌だなあ。

ニナよりも先に起きてウェブ巡りをしたり、テレビのニュースを見たり。台風23号がやってくるらしい。また台風か。今日から仕事のニナを起こして送り出し、その後は旅行記書きに没頭。仕事が始まってしまうと記憶が薄れてしまうので、今日中に書き上げるつもりなのだが、しばらくキーボードを打たない日々を送っていたら、ちょっと集中して打っていると手首が痛くなる。仕方がないのでちょこっと書いては洗濯をし、ちょこっと書いては洗濯物を畳み、という感じで家事を間に挟みながら執筆を続ける。おかげで部屋が妙に奇麗になった。

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昼前に執筆を一度中断してデジカメプリントについて調べる。今回の旅行で撮ったデジカメ画像を紙に焼きたいのだが、枚数が多いためなるべく安く済ませたい。でもあまりにも大量生産ぽいところはちょっと信頼できない。iPhotoのオンラインプリント機能を使うと、Lサイズ1枚あたり35円で、別途消費税と送料がかかる。プリントは富士フィルムが請けるようだ。手許に届くのは注文から3、4日後とのこと。ウェブで他のオンライン系のデジカメプリントを調べると、激安系では一枚15円なんてのもあるようだが、写真といえば一応は個人情報を出す訳だし、信頼できないところはちょっとなあ。

そんなことを考えつつ雨の中十番商店街を歩き、ピーコックの並びに富士フィルムのDPE屋さんがあるのでまず行ってみる。ここでは一枚37円と、iPhotoのオンライン注文よりもやや高いが、ポケットアルバムをサービスしてくれるのと送料がかからないので、価格はほとんど変わらない。仕上がりは一時間ということなので、だとするとこちらに頼んだ方がいいような気がする。一旦店を出て、念のため、商店街をブラブラ歩きながらDPEサービスを請けている他の店を探すと、意外とたくさんある。でも他はどこも文房具屋さんやスーパー、タバコ屋さんなどが看板だけ出して請けているところばかりで、看板には一枚18円とか書いてあるのだが、店に入って店員さんに質問すると、どの店も店員さんはほとんどデジカメプリントについては知らなくて、ちょっと不安になる。値段も18円というのはメディアに入っている写真を丸ごと全部プリントした場合の価格で、プリントする枚数を写真によって変えたりすると、一枚27円ぐらいに跳ね上がる。写真というのは一枚ごとに仕上がりが違うものなので、何だかそういうのはちょっと不安だ。デジカメに対する知識が全然ない店員さんというのもちょっと何だかなあ。結局オンラインは今回は見送り、十番の富士フィルムのお店に頼むことに決めた。オンラインは次回もう少し枚数を減らして頼んでみよう。

というわけで一旦家に戻り、写真データをCDに焼いて富士フィルムのショップに持ち込む。持ち込んでみて分かったのだが、メディアはメモリースティックでも大丈夫とのことなので、わざわざCDメディアを無駄にする必要はなかった。銀行のATMみたいな機械にメディアを挿入して、自分でプリントしてもらいたい画像とプリント枚数を選ぶようになっているので、ややこしい手続きはまったくない。なるほどねぇ。

出来上がりは一時間後とのことなので、一旦家に戻ることにする。途中サンモリッツでパンを買って帰り、食べながらまた旅行記書き。で、一時間半ぐらい経ってから受け取りに行く。店で出来上がりをちょこっと見せてもらったが、普通の写真と変わらない。僕のデジカメは280万画素だが、オフィシャルには60万画素以上でOKとのこと。なーるほど。こんなに楽ならこれからはもっと紙焼きしてみよう。

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午後も雨の中、ひたすら部屋で旅行記書き。ふと気づくともう夕方。もう一息ということで書き続け、ニナが帰って来てちょっとで完了。いやあ頑張った。

夕食は昨日のカレー。赤ワインをちびちび飲みつつ僕の休暇が終わる。楽しいリフレッシュ休暇だった。明日からまた頑張ろう。


2003年10月19日(日) 快晴
【奥日光へ】

7時過ぎに起床。起きたらあまりにも天気が良くてうきうきしてくる。こんないい天気の日に家に篭っているのは我慢が出来ない、ということで、レンタカーを借りて日光に繰り出すことにした。丁度紅葉も見頃みたいだし。

家から歩いて5分のところにレンタカー屋さんがあるというのは、もはや車庫感覚で、電話一本入れて、シャワー浴びたり支度したりして出かければ、もう車の用意が出来ている。僕は車道楽の気は今のところないので、これだけ便利な場所にレンタカー屋さんがあれば、マイカーはいらないなあ(つーか今のところ経済的に買えないというのが正しいのだが)。

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今日の車は銀色のカローラ。もう少し大きなプレミオぐらいのを借りたかったのだが、天気のいい日曜だから出払ってしまっててないとのこと。夏に青森に行った時は長距離だったのである程度の排気量が欲しかったのだが、日光程度ならカローラでも大丈夫だろう。

で、9時半過ぎに出発し、首都高から東北道へ向かう。この前延々と運転したばかりなので、今回は慣れについては全然問題なし。夏に乗った時は、2年ぶりだったので、かなりおっかなびっくりだった。やっぱり2ヶ月に一度ぐらい乗っておくといいね。

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日光まではガラガラだったのだが、宇都宮日光道路はやはり観光客で大渋滞。その後のいろは坂もずっと渋滞で、昼には日光市に入っていたのに、中禅寺湖に着いたのは3時過ぎ。いやーピーク時はこんなもんだねえ。

腹ぺこで死にそうになりながら湖畔のレストランに転がり込み、虹鱒を食べる。湖で獲れた鱒だそうで、とても美味しい。ニナが食べていた蕎麦も、一口もらったら美味しかった。

食後は戦場ヶ原を抜けて奥日光から片品村方面へ。中禅寺湖周辺はまだ紅葉は始まったばかりという感じで、いま一つだったのだが、戦場ヶ原から奥の紅葉はまさに絶景。美しさに声が出る。

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日も暮れた後、のんびりと関越道の沼田ICまで出て、高速で帰京。結構渋滞にはまり、レンタカー屋さんが閉店する10時ギリギリで返却となった。

久々にたっぷり遊んだ感じで元気になった。やっぱり休みの日は積極的に遊ばないとダメだねえ。


2002年10月19日(土) くもり のち 雨
休日。昨夜は深夜残業だったのだが、9時前には活動開始。さくさくと支度して昼前に家を出る。ニナはスカパーのアンテナ修理の人が来るのを待ってくれることになり、夕方合流に。

三鷹の駅の立ち食いでうどんを食べ、上野を経由してJRで南千住へ。上野でホームに止まっていた常磐線の普通電車、車両が国鉄時代のあずき色の411系だった。こんなのまだ走ってるんだ、と呆然と眺めていたら、サラリーマン風の男二人も、「うぉー」と騒ぎながら喜んで乗車していた。僕と同じぐらいの世代。南千住に出るには、秋葉原から地下鉄の方が早いのだが、上野から常磐線で行く方が、景色に風情があって良い。

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南千住の駅前で、S君KさんYさんDさんと合流。小塚原の刑場跡の首切り地蔵にお参りしてから泪橋へ。パレスの前を通ってマンモス交番前からいろは街へ。大人数なのでさっさと通り過ぎる。昼間というせいもあって、おっちゃんはあまりいない。

土手通りに出て、伊勢屋の前は長い行列。吉原大門の交差点を渡って、見返り柳の前でしばらく佇んでから吉原へ。大門跡からすぐ左の伏見町の路地に入る。建物に感動するDさんの様子を喜びつつ、花園通りに出て、ソープの呼び込みを避けながら、やはり古い建物を見学。山谷から吉原にかけては、やはり大人数では散策しにくい。

花園通りを左折するとすぐに千束通り。せっせと歩いてひさご通りから浅草中心地に。まずは浅草寺と浅草神社にお参りして、何人かはおみくじ引いたり。仲見世でみんなはあげまんじゅう食べたり煎餅食べたり。二天門脇ではS君が柿売りの屋台にひっかかる。一度雷門まで抜けてから裏道をぐるぐるして、場外前の通りへ。「正ちゃん」に行こうと思ったのだが今日も満員で、結局「鈴芳」へ。みんなでビール飲んだりホッピー飲んだり。場外馬券場に行く人や、帰ってくる人にまぎれて、ぼんやりと外で飲む酒は実にうまい。

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小一時間潰してから出発。会計は一人1,000円。仲見世を突っ切って江戸通りに出ようと思ったら、浅草神社の前の広場で猿回しをやっている。しかも若くてキレイなお姉さんが猿を回している。猿というよりお姉さんを見物(笑)。

ぽつぽつ雨も落ちてきたし、時間にも遅れそうなので、さっさと歩いて都営浅草線で蔵前へ。蔵前から都営大江戸線に乗り換え。蔵前駅は浅草線から大江戸線まで、一旦地上に出て延々と歩く。これはもはや「乗り換え」ではなく、「近くの別の駅」だな。

で、門前仲町へ。なんだかんだと評判の悪い大江戸線だが、実際使ってみると目茶目茶便利である。生活圏内の至る所で顔を出しているんだよなあ。12月には半蔵門線が曳舟まで伸びて東武線とつながるから、下町徒歩者はますます便利になる。

門前仲町でDさんとY君も合流、さらにニナもやってきて総勢8名の大所帯に。どんどん歩いてほるもん道場へ。ニナが店の番号を控えてきてくれていたので、途中で携帯から予約。ニナは傘も持ってきた。偉い。

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で、ほるもん道場。ばかデカイ鉄板を囲んで焼肉を食べまくる。S君はおかずなしでてんこ盛りのご飯をあっという間に平らげて、ひたすら驚く。わいわいやって、ホッピー飲んで、非常に幸せである。

で、店を出たらどしゃ降りの雨。傘をさして二次会の場所を求めてうろうろ。木場駅近くの養老の滝に滑り込む。ちょろっと飲んで、べらべら喋る。会社のみんなと遊ぶんでも、休日だと仕事の話も出ないし、新鮮で楽しいものだ。

店を出て、門前仲町まで歩いてカラオケ。ワーワーやってたらもう11時半過ぎ。下町で遊んでるから、帰りの電車が気になってきた。自分たちは最悪タクシーでもいいが、Yさんは川崎の方だったから、帰れないと洒落にならんだろう。

というわけで名残を惜しみつつ地下鉄の駅へ。丁度電車が来ていたのだが、ニナが出遅れて僕とニナだけ乗り遅れてしまう。いやー楽しかった。


2001年10月19日(金)

記載なし


2000年10月19日(木)

記載なし


1999年10月19日(火)

ベートーベンの交響曲


1998年10月19日(月)

手紙


1997年10月19日(日)

運命の人


1996年10月19日(土)

The Sex of It



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