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3.11後の日本で僕らが生き残るための提言

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高城剛がまた本を出した。

 

一つ前の本「私の名前は高城剛。住所不定、職業不明」を買って読み、共感を得た。

 

嫌い。だから読んでみた。 書評「私の名前は高城剛。住所不定、職業不明」 | No Second Life

 

なので、今回も買って読んでみた。そこには東日本大震災後の日本の現状の苛烈なまでの分析があった。

そしてそこには、これからの日本と日本人がどうやって生き残っていくべきかという提言も示されていた。

 

 

沢尻エリカとの問題ばかりがクローズアップされた感がある高城剛氏だが、海外在住歴が長く、また中央省庁との仕事の経験も豊富で人脈も密だ。

たかが「ハイパーメディアクリエイター」などと馬鹿にしてはいけないのではないか?

 

 

この本を読んでそう感じるようになってきた。

時代を生きる力」力強く示唆に満ちた本だった。

 

 

時代を生きる力高城 剛 マガジンハウス 2011-06-23
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誰も幸せにしない「日本」というシステム

 

 

 

この本の冒頭で、高城氏は今回の3.11の問題を3つに分けて考えるべきと言っている。

「地震と津波」、「原発事故」、「その後の対応」の3つだ。

 

 

そのうち、地震と津波に関しては天災なので仕方がない。

だが、原発事故に関しては、起こるべくして起こったと断じている。

僕は知らなかったのだが、日本のいくつかの原発には構造上の問題があるせいで、保険の引き受け手がなかなか見つからないことは、世界では常識だったという。

 

 

そして一番の問題は、もちろん「その後の対応」だ。

高城氏は、この災害後の対応において、「近年の日本の問題点が一気に露呈した」と説明している。

 

 

バブル崩壊後の日本の問題は「速度」と「責任の所在の曖昧さ」にある。

バブルが弾けて景気が悪くなっているのに延々と借金を続け、少子高齢化が顕著になっているのに年功序列や学歴社会のような、かつての「制度」だけが残ってしまったのだ。

 

 

その制度の典型例が官僚をはじめとした公務員システムだ。

彼らは何もしなければ何もしないほど出世するような仕組みになっている。

だからこそ、色々なことをゆっくり進めるのが、この「システム」に乗っかっている人にとっては理にかなった行動なのだ。

 

 

そして責任の所在を曖昧にすることも、日本システムの特徴だ。

誰が悪いのかが判らないように責任をぼかし、うやむやにしてしまうのだ。

 

 

 

 

 

3.11後の対応でまさに問題になったのが、この「処理ののろさ」と「責任の曖昧さ」だった。

システムが極めて不透明なのだ。

 

 

そして本来はこの日本式システムの問題点を暴き、改善させようとするのはマスコミの仕事なのだ。

だが、問題は、日本の場合、マスコミもこの日本式システムに入ってしまっていることなのだ。

 

 

ただ専門家の意見を垂れ流すだけで、局として、番組としての主張は一切持たない。

責任を回避して曖昧にしてしまう手法がここでも取られてしまっている。

 

 

 

だから、この「日本式システム」を変えることが出来ない限り、誰が総理大臣になっても日本はあまり変わることができない。

 

 

 

テレビが変われば日本が変わる?

 

 

 

震災後、日本のテレビのおかしさに気づき始めた人も多いのではないだろうか。

本来政治のおかしな点を暴きチェックする機能を持つべきマスコミが、この国ではその逆のことをしている。しかもおかしいのはむしろ民法だ。

 

 

反原発のデモが起こっても、日本のメディアはほとんど反応しない。

ところがCNNなどの海外メディアはそれを大きく取り上げ、海外のウェブサイト経由でその報道を知ることになる。

 

 

今回の震災を明治維新や第二次大戦終了と並べて日本変革のきっかけと考えようという動きがあるが、前者2つと今回の震災では大きな違いがある。

それは、前者2つは大きな変化の結果、国家のシステムそのものが根本から変わったのに対して、今回の震災では、焼け野原になった国に日本式システムだけがそのまま残ってしまった状態なのだ。

 

 

 

 

 

 

そして、メディアまでもが責任回避、自主規制のスタンスを取っている限り、100万人のデモを繰り広げても、それがニュースになることはない。

高城氏は、ネット住民などリテラシーの高い人たちが中心になって、テレビの視聴率が低下するぐらい一斉にテレビを見ない運動の展開などを提言しているが、結論からすると、テレビが変わるにはまだまだ時間がかかる。

 

 

だからこそ、僕ら日本人は、人任せ、事なかれ主義を脱して、自分の目で見て耳で聴き判断を下し、進む方向を決めるべきタイミングに来ている。

高城氏は以下のように言っている。

 

いつまでも政府に文句を言っていても仕方がありません。政府の見通しが甘い、動きが悪いなどと言っても、なにも解決しないのです。これは、今回に限らず、今後あらゆることにあてはまると思います。ですので、「想定外」を生き抜く力を、”個人”でつけるしかないのてす。

 

我々は、大きな転機にいることは間違いない。

 

 

 

21世紀の生き方を模索せよ!

 

 

 

「ITの次にはエネルギー産業の時代がくる」

高城氏は断言している。

 

 

原発から離れていくということで、昨今電力不足による電気代の値上げの動きなどが報道されているが,僕らがライフスタイルを変えていけば良いのだ、と高城氏は言う。

華美な個室レストランでのディナーよりは友達の家でのホームパーティー。過剰に電気を使うのではなく、必要な分だけを使いソリッドに暮らすことがクールな時代になる。

 

 

 

 

家や土地に固定され、そこでの生活にこだわる生活スタイルから、資産や住居をコンパクトにして、必要に応じて移動しながら暮らすハイブリッドスタイルをも提唱している。

日本は今までは経済的にも恵まれ、独自路線を歩んできたが、国力が落ち経済的に弱くなった時に、2050年には地球全体の人口が90億人を突破するという見込みの中で、食料を安定して手に入れることが出来るとは限らないからだ。

 

 

政府はその時になっても「当面問題はない」を繰り返し、対応が後手に回っている間に市場から食材が消え、あっという間に部分インフレが起こるかもしれない。

そんな時に備えて、平日は都心でサラリーマンをしつつ、週末は郊外で農業というような、柔軟かつコンパクトな生活を目指すべきなのだ。

 

 

本来必要な容量以上の電力を原発を使って発電し、過剰な電力消費を促してきた時代が象徴するものから、僕らは決別しなければならない。

絶対返せない借金を積み重ねながら「経済成長」を追い求めることのグロテスクさに、そろそろ気づくべきなのだ。

 

 

 

まとめ

 

 

 

僕らが生きるこれからの時代は、過去60年の平和だった時代とは異なってくるだろう。

平和な時代には、政府の悪口を言いつつ酒を酌み交わし、会社に定年まで勤めていれば、何となく幸せな一生を送ることができた。

 

 

でも、これからはそうはいかない。

政府が素晴らしく生まれ変わることは期待できず、マスコミも機能しない。

 

 

だからこそ、僕らは「誰かの文句を言う」ことをやめ、行動を起こす時なのだ。

誰かがどう思うかではなく、自分がどうしたいか。

 

 

 

 

己を基準に持って、自分から情報を集め、決断を下す。

「依存せず確立した個を持ち、その上で信頼に足る仲間を増やさなければなりません」

高城氏はそう結んでいる。

 

 

これからの時代を生きることを苦しいと思うだろうか。それとも楽しみだと思うだろうか。

それはあなた次第。

 

 

高城氏は、これからの時代を、「統合の時代」と読んでいる。

20世紀に分断されていた頭と心、右脳と左脳を統合する時がきたのだ。

 

 

時代を生き抜く力とは、時代を楽しむ力かもしれない。

覚悟しつつ、楽しもう。

 

 

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