僕は47歳、来年2017年は4回目の年男である。
そんな僕がどのような形で今の自分になってきたのかを書き出してみたい。
お友達の習慣化コンサルタント、古川武士さんのブログに触発されて書いてみる。
元ネタ古川さんのブログ記事はこちら。
幼少期から順に、現代に向かって書いていこう。
- 立花の人生に大きな影響を与えた10の出来事を語ろう
- 1 大家族だった父の実家から病人二人の母の実家への引っ越し(5歳)
- 2 両親の離婚と名字の変更(11歳〜12歳)
- 3 18歳で突然激ヤセして超カッコ良くなり本人困惑
- 4 外見と内面の遊離に苦しみつつ熱烈な恋をして大失恋(20歳)
- 5 卒論276枚を英語で書き翻訳専門学校に進み、バブル崩壊に伴い就職
- 6 インターネット テキスト日記を開始 そして知り合った女性と同棲〜結婚へ
- 7. 実家の売却と借金返済 そして激太りで超デブへ
- 8 大塚彩子とのネットでの再会 そして大きな決断 離婚届を出した日にNo Second Lifeスタート
- 9 徹底的に「やり方」を鍛えまくってブログがブレイク!独立!出版!!そしてまさかの燃え尽き
- 10 心の学び ビリーフ解放 そして圧倒的ビジョンと三人称の自己実現への道
- まとめ
立花の人生に大きな影響を与えた10の出来事を語ろう
1 大家族だった父の実家から病人二人の母の実家への引っ越し(5歳)
僕の人生における最初の大事件は、5歳の夏休みに起こった。
春に幼稚園に入ったばかりという時期に、杉並区浜田山の父の実家から、港区西麻布の母の実家へと引っ越したのだ。
母の実家は祖母と祖父、それに曽祖母の3人暮らしだったが、祖父と曽祖父二人が病気になり、祖母は音楽教室経営と病人看病で手が回らなくなり、母と父に引っ越してくるよう要請した。
それまでの父の実家は大家族で、男の初孫だった僕はとにかく可愛がられて育てられたが、母の実家は病人二人を抱え、祖母も母も父も大忙し。
しかもこのタイミングで弟が生まれて僕は兄になり、引っ越した先の幼稚園は3年制の2年目、しかも超進学お受験幼稚園だったため、全然馴染めず苦しんだ。
僕のコアビリーフは、このときに形成された「自分は無力である」「世の中はどんどん悪くなる」であったことは、つい最近発見できたこと。
2 両親の離婚と名字の変更(11歳〜12歳)
僕の両親は僕が11歳のときに離婚した。
上に書いたとおり、母の実家に父が「マスオさん状態」で同居していたので、父がいなくなり、母と祖母に育てられることになった。
5歳で形成されたコアビリーフ「自分は無力である」と「世の中はどんどん悪くなる」がさらに強化されたできごと。
小学校の卒業式のタイミング、しかも朝の朝礼までは「大矢岳志」だったのが、そのあとの卒業式で突然「立花岳志」に変更されたことが、大きな傷として残ることになる。
友達の家に行ったときなどに、友達の母親などから「どうして名字が変わったの?」という無神経な質問を受けることあり、「親が離婚した」とは言えず、「税金対策らしいです」などという、意味の分からない嘘をつき、嘘をついた自分をさらに責めていた。
「我は何者か」というアイデンティティーの揺らぎを抱えながら思春期に突入する。
3 18歳で突然激ヤセして超カッコ良くなり本人困惑
アイデンティティーの揺らぎを抱えた僕は、わざわざアウェーになる環境を自ら探し求めて進むループに入り込んでいた。
港区在住なのに、わざわざ川崎市中原区まで越境で通う高校生になり、またしてもまったくクラスメートと馴染めない日々を送る。
中学校までブラスバンド部に在籍して部長も勤めたが、進学した法政二校では、吹奏楽部が超強豪で、「楽器を持っていない」と正直に言ったら(中学までは学校で貸してくれていた)、「お前が来る場所ではない、帰れ」と言われ、帰宅部となる。
「自分はどこにも属すことができない」という遊離感が強まり、何かを繋ぎ止めたくて、自宅屋上でミニFMのラジオ局を始めたりしていた。
18歳のときに近所の極真空手の道場に入るが、やはり「自分は所属できない」ビリーフが発動してまったく馴染めず。
ただ、空手道場の稽古のおかげか、ずっとぽっちゃり体型だったのが、するすると痩せて、18歳にして突然モデル体型になる。
4 外見と内面の遊離に苦しみつつ熱烈な恋をして大失恋(20歳)
自分の存在が揺らいでしまい、所属できない遊離にずっと苦しんできた僕が、18歳にして突然激ヤセしたら、超モデル体型の190cmのイケメンになった!!
しかも高校は男子高で、女性との接点がまったくなかった。
そんな僕が進んだ先は、法政大学文学部英文科だ。
英文科というのは、男女比が2:8で、女性が多い。
高校まではぽっちゃり体型なうえに自分の存在を肯定できず、ずっと遊離していたので、女性にモテたことなど一度もなかった。
それが、痩せて大学に入ったら、女子が8割!しかも時代はバブル絶頂期!!
さらに、僕は身長が190cmで脚が長くてモデル体型で、自宅が西麻布にあって、親はミュージシャン!!
はい、女子が殺到しました。
でも、その状態に、僕は完全に困惑した。
だって、中身は18歳までの、ぽちゃぽちゃで一度も女の子にモテたことがなくて、しかも自分のアイデンティティーが持てず、揺らいでいる、ダメダメな自分のまま。
それが突然女の子にキャーキャー言われるようになっても、そんな世界、受け入れられない。
だから僕は、それらの女の子たちからできるだけ遠ざかるように、王道を行かないように行かないように、生きていた。
テニスサークル?とんでもない!合コン?冗談じゃない。ディスコ?ふざけんじゃない。バブル?カッコつけてんじゃない!
そんな感じで、僕は飲食店でコアアルバイターとしてバイトしながら、ひねくれまくって、でもエゴをくすぐられながら、生きていた。
(テレビ朝日の入口前を通りかかったときに、アイドル歌手と間違われてキャーキャー言われることに、ムズムズしない男子はいないだろう)
そんなときに、僕はある女の子と熱烈な恋に墜ちた。
同い年で地方から出てきて短大に通う、とても可愛い娘だった。
僕たちは強く惹かれ合い、すぐに付き合うようになり、結婚の約束をした。
二人とも社会人になったら結婚しようと。
ところが、短大生の彼女が先に就職をして、雲行きがおかしくなった。
社会人になった彼女は、より強く頼りがいのある男性を求めたのか、まだ学生でひよっこだった僕は、あっさり乗り換えられ、別れを告げられることになった。
熱愛1年、まさかの破局だったが、僕の中には「ほれ見たことか。やっぱり僕は無力なんだ。やっぱり世の中はどんどん悪くなるんだ」という、奇妙な安心感があった。
これこそが、コアビリーフが作り出す世界観に、僕自身が飲み込まれてしまった瞬間だった。
5 卒論276枚を英語で書き翻訳専門学校に進み、バブル崩壊に伴い就職
20歳で失恋してからの大学の日々は正直言ってひどかった。
相手の女性を責めることができず、「全部自分が悪い」と自己否定の塊になった。
「自分が幼いからダメになった」
「自分に能力がないからダメになった」
「自分に力がないから彼女を繋ぎ止められなかった」
「自分にお金がないからパイロット候補生に彼女を取られた」
とにかく自分を責める、責める、責める、責める。
とにかく魅力と力と金がないことが、自分の致命傷と思い込み、狂ったように勉強に励んだ。
4年生まで、取れるコマ数すべての授業を受け、規定では15枚書けば良い卒論を、英語で276枚も書いた。
そのまま翻訳の専門学校に進み翻訳者を目指したが、翻訳は記号の変換で、僕がやりたいのは自分の書きたいことを書くことだと気づく。
ここでもコアビリーフが発動されて、「自分は一生無力だ」「やはり自分は肝心なところでダメになる」と、無力感にひしがれる。
時代はバブル崩壊で、借金を背負った実家からも「就職してくれ」と圧力があり、傷心の中翻訳会社に就職してサラリーマンになる。
6 インターネット テキスト日記を開始 そして知り合った女性と同棲〜結婚へ
就職したのが1994年、24歳のとき。
そしてその会社で、人生で初めてMacintosh、Macに触れることになった。
その楽しさ、美しさに一目ぼれして、冬のボーナスを全額突っ込み、さらにローンを組んで、人生初のMac、PowerMac 7500/100とプリンター、スキャナー、MOドライブなど一式を購入。
そしてすぐにプロバイダーと契約して、ホームページを開設。
1996年3月20日に、インターネットテキスト日記「思うこと」をスタート(当初タイトルは単なる「日記帳」だった)。
たまたまその時期は、それまで大学の研究室だけで使われていたインターネットが民間に開放された時期で、多くの新しい物好き、高感度な人たちがネットになだれ込んできていた。
そしてネット上の日記をまとめるランキングサイトの存在を知り、すぐに登録。
そこで自分以外の「日記書き」「日記者」の存在を知ることになる。
そしてそこで知り合った女性と付き合うようになり、翌年より事実上の同棲を開始し、5年後に結婚。
テキスト日記はその女性と離婚することになった2008年12月まで13年続いた。
このときも、いま思えば結構楽しく日記を書いたりオフ会を主催したりしていたが、常に自分は「他の感度の高い人たちと違って、自分だけダメサラリーマンだ」「自分はモノになれない」という想いが強く、ずっと屈折していた。
7. 実家の売却と借金返済 そして激太りで超デブへ
5歳からずっと住んでいた、西麻布の家を、バブル期に全面改築することになった。
祖母が計画したものだったが、計画に無理がありコストがかさみ、しかも完成と同時にバブルが崩壊。
以降我が家はずっと借金に苦しむことになる。
このときもコアビリーフが発動して、「ほら見ろ、やはり僕はいつも肝心なときにダメになる」「自分は無力だ」「世の中はどんどん悪くなる」という世界観に飲み込まれていた。
「日本経済とともに、自分の人生もどんどん悪くなっていく」というのが、当時の僕がいつも想っていたことだった。
そして20代後半の時期に、僕は2年で20kg以上激太りしてしまい、子供時代以上の「超デブ」になってしまった。
「やっぱり自分はどんどんダメになる」
「自分は結局デブとして生きる運命だったんだ」
というようなビリーフが跋扈していた時期だった。
8 大塚彩子とのネットでの再会 そして大きな決断 離婚届を出した日にNo Second Lifeスタート
2007年のお正月に、僕は一人で大きな決断をしていた。
「このまま流される人生を止めたい!なんとか自分らしい人生を取り戻したい」と。
しかし、現実には何をどうしていいのか、全然分からなかった。
そんなとき、当時流行っていたmixiで、懐かしい人と再会した。
それが、今の僕の妻である、大塚彩子だった。
彼女と最初に会ったのは、お互いが大学生のときで、東京芸大作曲科に通っていた彼女が、ジャズの勉強をするために、僕の母の音楽教室に通ってくるようになったのがきっかけだった。
ただ、彼女は当時は「母の教室のお弟子さん」でしかなく、接点もほとんどなかった。
彼女のことが気になりつつも、何ごとも起こらないまま、彼女は芸大を卒業して母の教室もやめ、やがて結婚したという話を母から聞いた。
その話を聞いたときは結構がっかりしたのだが、その時もコアビリーフが発動して、「ホラ見ろ、お前なんかは無力で何も思う通りにできないのだ」というような、屈折した安心感があったことを憶えている。
そんな彼女と15年ぶりくらいにネットでつながり、「ごはんでも」という話になった。
そこから、あれよあれよという間に話が進み、僕は大きな決断を迫られることになった。
それは、女性関係をどうするか、という決断ではない。
「このまま流され、翻弄されたまま生きるか」
「それとも、自分の欲しいものを取り、生きたいように生きるか」という選択だった。
僕は、多分人生において初めて、ありったけの勇気を振り絞って、取りたいものを取る決断をした。
そして、前妻との離婚届を提出した日に、僕のブログ No Second Lifeが生まれた。
僕の人生が大きな音を立てて変化し始めた。
9 徹底的に「やり方」を鍛えまくってブログがブレイク!独立!出版!!そしてまさかの燃え尽き
砂漠の砂が水を吸い込むように、僕は堰を切ったようにブログを書きまくった。
それまでずっと、諦めていた、自己表現の手段を身につけ、僕は書きに書いた。
日記というのは、あくまでも「個人的な記録」だ。
ブログは記事単位で検索される、情報発信の母艦となる。
この差は大きかった。
僕はブログを通じて人生を劇的に変えたいと思った。
そして人生を劇的に変えられると信じた。
1日3回更新を目指して書きまくったブログが徐々に人気を博し、いつしか僕は「プロブロガー」に憧れることになった。
そして2010年6月に勤務先の社長に退職の意志を伝え、翌年、2011年3月、東日本大震災で日本中が大混乱するなか、僕はブロガーとして独立した。
そして僕は自己啓発、仕事術、ライフハックなどを駆使しまくり、やり方を鍛えに鍛えて自分を先鋭化し、ブログは月間160万PVを越え、2012年には書籍を4冊立て続けに出版。
大ブレイク、大成功となっかかに見えたが、本が出る時点で僕は深刻な燃え尽き状態に陥り、何もできない状態になっていた。
ここでもやはり、コアビリーフが発動して、「お前には華やかな場所は似合わない」「どうせいつも肝心ところで失敗する」という世界観が、僕の中をどす黒く染め抜いていっていた。
10 心の学び ビリーフ解放 そして圧倒的ビジョンと三人称の自己実現への道
何度も繰り返される燃え尽きと、終わることがない不安との闘い。
「このままでは僕は一生幸せになれない」という想いから、藁にもすがる想いで参加した2013年の岡部明美さんの3daysワークショップと7期LPL養成講座。
ここで心の仕組みの骨格を知り、ビリーフも解放できたと思い込んでいた僕だったが、翌2014年に2冊の本を上梓すると、またしても極度の燃えつきと不安に襲われ何もできない状態になった。
そこから、湯ノ口弘二さんのCCLをへて、9期LPL養成講座を再受講。
ここで「アダルトチルドレン」というキーワードに触れ、自分が重度のアダルトチルドレンであったことを認識し、覚悟を決めた。
「問題は何一つ解決していない」と。
そこから9期LPL養成講座を通じ、徹底的に自分とコンフロントして、ビリーフの解放を目指した。
結果、9期LPLの最終講と、その直後の大下千恵ちゃんのコーチングセッションにより、コアビリーフ解放に成功。
「ダメ人間ワールド」から「大丈夫ワールド」への転換を確信し、それをどう実践に移すかを試行錯誤しつつ体感する一年を過ごした。
2016年に入り、湯ノ口弘二さんのマスタリートレーニングを通じて、自らの「圧倒的ビジョン」と「三人称の自己実現」の道を探求する。
そして2016年12月、マスタリートレーニングの最終講で辿り着いた僕のミッションは、「人類救済」「奴隷解放」の道であると確信。
「圧倒的ビジョン」から「圧倒的Doing」へと、大きく加速することを誓い、2016年が終わろうとしている。
まとめ
書き始めたときは、こんな長い記事にするつもりはなかったのだが、こうして振り返ると、自分にとっての重要なポイントは、結局ここだった。
コアビリーフの形成 → コアビリーフの強化 → ビリーフの存在を認めた → ビリーフ解放 → 圧倒的ビジョン
そして、ここからは次のステージ「圧倒的Doing」「大量行動」のステージに入るのではないかと思っている。
どんなに高尚なことを考えていても、行動しなければ何も起こらない。
2017年の僕は、圧倒的Doing、大量行動でいこうと思っている。
というわけで、この振り返り、やってみてすごく良かった。
皆さんもぜひ、自分を形成している10大要素、書いてみてください!!
オススメです!!
著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラー。
あまてらす株式会社 代表取締役。
著書に「やってみたらわかった!40代からの「身体」と「心」に本当に良い習慣」「起業メンタル大全」「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」「ノマドワーカーという生き方」など全9冊。
神奈川県鎌倉市の海街在住。