13年連用 思うこと(独酔亭日乗)


5月7日

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2008年5月7日(水) 快晴

【ジョギング&筋トレ復帰/社会復帰/チキンソテー向上】

5時10分の目覚ましの前、4時45分に目が覚めてそのまま起床。あと30分なんだけど、寝ておきたいんだけどなあ。

でも大して眠くないのでそのまま筋トレやってからジョギングに出る。有酸素運動は筋トレの後で。でも気合いを入れてスクワットのスロートレーニングを限界までやってからジョギングに出たら、さすがに筋肉がパンパンでタイムが出なかった。5キロを39分。39分は今年最悪のタイムだが、条件が違うので仕方がない。

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今日から仕事もスタート。とはいえ今年はカレンダーの並びが特殊だったので今日まで休んでいる人も結構いる。それなりに忙しく過ごす。

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夜は僕がチキンソテーだの山芋の千切りだのを作り、あとは昨日の残り物を並べる。チキンソテーは前回作った時には火がきちんと入らずレアレア状態になってしまったので、今回は工夫してみた。最初皮目を強火でビシっと焼いた後は火をかなり弱めにして、蓋をした状態で蒸し焼きにする。これが良かったみたいだ。オレガノと塩こしょうだけの味付けにして、それを食べる時にレモンとタルタルソースで。美味い。

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今日の体重:95.6キロ(07年1月1日スタート時: 99.8キロ、4月末の目標: 92.8キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:78日(走れた日の日数)/192日(トータルの日数) 出走率:.406(一昨々年の通算.477、一昨年の通算.279、去年の通算.548)




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2007年5月7日(月) くもり

【6.1キロ/連休明け/ミートソース】

5時10分起床。昨夜は10時前に布団に入ったのだがちょっと寝付くのに時間がかかり、眠った後も何度か目が覚め眠りが浅かった感じ。昨夜お風呂に入って体が温まり、温度調節が難しかったようだ。

で、ちょっと眠かったのだがジョギング。ミッドタウン周りの6.1キロコース。体が重いかなと思ったが戻ってきたら45分。タイムは悪くなかった。湿気が多くて走りにくかった。そろそろ暑さや湿度との闘いが始まるなあ。一年で一番走りやすい時期は過ぎ去ってしまった。

納豆ご飯食べて黒酢ドリンク飲んで出勤。黒酢ドリンクもお正月から欠かさず飲んでいるなあ。体重減がジョギングによるものなのか黒酢ドリンクによるものなのかは不明。まあ、黒酢ドリンクを飲んだだけで8キロとかは痩せないだろうから、両者の合わせ技ってことにしておこう。

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さて、仕事は連休明けでまだちょっとのんびりムード。個人的には集中力をガツンと高めて出勤したのでちょっと拍子抜けだったがまあ良いだろう。会議を幾つかやって、あとは原稿書いたりプレゼン資料の準備をしたり。昼ご飯は「きときと」の日替わり海鮮丼。連休中は食べたいものを食べたい放題だったので少し抑えめに。

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夜は6時半過ぎにオフィスを出て、駅でニナと合流して帰宅。夕食は昨日ニナが大量に作ってくれたミートソースでスパゲッティ、それに野菜サラダ。ミートソースすごい美味い。美味い美味い。

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ニュースで大関栃東の引退を知る。まだ30歳。引退は残念だが、脳梗塞や高血圧などの疾病がらみでは仕方がないか。応援していただけに寂しい。

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久し振りに早起きしたせいかもう既に眠い。これを書いたらさっさと本を持って布団に移動しよう。

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今日の体重:93.4キロ(07年1月1日スタート時: 99.8キロ、5月末の目標: 89.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:118日(走れた日の日数)/193日(トータルの日数) 出走率:.611(一昨年の通算.477、去年の通算.279)


2006年5月7日(日) くもり 時々 雨

【さらに引きこもり/焼肉で連休〆】

9連休も今日で最終日。昨日までの好天から今日は一転して曇天。時々雨も降る。今日もひたすら家でのんびり。9日間のうち6日は寝る間も惜しんで動き回ったせいか、引きこもり3日目になってもまったく苦痛を感じない。普段なら休みの日に一日家にいると、うずうずしてきてしまって落ち着かないのだが、さすがに疲れたらしい。

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夜は一番館2号店で焼肉。やれやれこれで連休もおしまいだ。9日も休んだのに、やはりもっと休みたいと思ってしまうのは贅沢だな。明日からまた頑張ろう。ジョギングも再開しなきゃ。連休前の週から全然走れていない。

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夜はスカパーでF1ヨーロッパグランプリ決勝。手に汗を握る素晴らしいレースだった。2位スタートのフェラーリ、Mシューマッハが2度目の給油の間にポールポジションだったルノーのFアロンソを逆転して優勝。前戦のサンマリノグランプリに続く2連勝。サンマリノはコースが抜きにくく、後半フェラーリのパフォーマンスが落ちてもアロンソが抜けずに勝ったという印象があったが、今回は後半にぐんぐんスピードを上げるシューマッハの姿を見て,フェラーリ復活を強く感じるレースだった。いやあ素晴らしい。

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今日の体重:96.8キロ(05年1月1日スタート時: 99.8キロ、4月末の目標: 96.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:61日(走れた日の日数)/195日(トータルの日数) 出走率:.313(去年の通算10/22まで.477)


2005年5月7日(土) 雨 のち 晴れ

【寝過ぎ/6キロ/TGI Friday's】

明け方に地震があり目が覚める。時計を見ると5時ちょっと前。そのまま目が覚めてしまい、Macを起動してしばしウェブ巡りしたり、日記書いたり。最初は快調かと思ったのだが、起きてしばらくすると、まだ眠い。睡眠不足でぼーっと過ごす休日は最悪なので、布団に戻って二度寝することにする。

しばらく布団の中でゴソゴソしていたが、いつの間にか二度寝していた。で、目が覚めると何と11時半。なんでこんなに寝たんだろう。でもおかげで気分スッキリ。連日走っているから、体が眠りを欲しているのかな。

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で、昼過ぎからジョギング。最初は軽くにしようかと思って家を出たのだが、走り始めたら思ったより調子が良いので、いつもよりちょっと長め、6キロ走る。けやき坂〜六本木六丁目交差点〜霞坂〜西麻布交差点〜笄坂〜日赤商店街〜堀田坂〜笄川暗渠〜広尾橋〜天現寺橋〜古川橋〜一の橋という感じ。十番商店街はさすがに昼過ぎになると買い物客が多くて走りにくかった。

これで通算出走率が.447まで回復。明日走れば.450台を回復できるかな。.450代は、3月15日以来だから、約2ヶ月ぶり。頑張って今月中に.500までいけると良いな。

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起きたのが極端に遅かったので、ジョギングしてその後シャワー浴びるともう2時に。食事をどうしようかという話になり、昼を外食でしっかり食べてしまい、夕食は自宅で軽めにすると良いだろうということに。で、ステーキを食べに、外苑東通りのTGI Friday'sへ。シェフサラダ、フィッシュ&チップス、それからステーキ。ビールと赤ワイン。走った後にお酒を飲んだら一瞬すごく酔っぱらってしまったが、水をごくごく飲んだら復活。ああ驚いた。

店を出て、花屋さんで西洋朝顔の苗を買う。本当は種が欲しかったのだが、発芽しているものしか売っていなかった。その後はぶらぶらと散歩して帰宅。

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遅い午後を部屋でのんびり過ごす。F1スペイングランプリのフリー走行をスカパーで視たり、HDDレコーダーのデータを整理したり。

明日でGWも終了。連休中にやりたかったことはだいたい出来た。あとは読書記録のページを作ることか。明日これをやろう。

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今日の体重:93.2キロ(04年6月1日スタート時: 99.2キロ、5月末の目標: 91.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:88日(走れた日の日数)/197日(トータルの日数) 走り率: .447


2004年5月7日(金) くもり のち 晴れ

【北京へ】

5時過ぎ起床。荷物は昨日のうちにまとめておいたので、もう一度確認。シャワー浴びてコーヒー飲んでいるとニナも起きて来た。

7時前に家を出る。タクシーで東京駅に出て、成田エキスプレスで成田空港へ。通路を挟んで反対側の席に座っているプロレスラーみたいな巨漢の男が、花粉症なのか何なのか分からないのが、やたらとくしゃみをしていて、空中に浮いている花粉だか胞子だかが気になるらしく、両手をぶんぶんと振り回すのが非常に鬱陶しい。空港着は8時半過ぎ。

社長と合流し、僕は海外用の携帯電話のレンタル手続きと旅行保険の申し込みなど。とっととチェックインして免税店で買い物。ニナに頼まれた口紅は生産中止になってしまったらしい。N藤から頼まれたタバコは買えた。

イミグレもスムーズに終わり、飛行機に乗り込む。最近中国でまたSARSが出たとのことで、体温を計る装置の前を通過させられる。中国は5月1日から今日までがメーデーの大型連休ということで、日本で連休を過ごした中国人や中国在住の日本人で機内は混んでいる。

成田から北京までは3時間半弱のフライト。時差が一時間あり、北京の方が一時間遅い。機内で時計を合わせる。ソウル上空から北朝鮮領を避けるように西に迂回するのだが、やはりその辺りを飛んでいる時はちょっと緊張する。大したことない機内食を食べ、周囲の人達がワインやビールを飲むのを羨ましく思いつつ、村上龍の「テニスボーイの憂鬱」をひたすら読む。飛行機に乗る時は、できるだけ長くて、できるだけバカバカしい小説を持って行くことにしている。時間は潰れるし、疲れない。飛行機の中でドストイェスキーの「罪と罰」なんか読んだら、疲れ切って死んでしまうかもしれない。

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10分遅れぐらいで北京の空港に到着。入国審査も特に問題なく抜けて無事中国上陸。で、ホテルに向かうためにタクシーに乗るのだが、タクシー乗り場までの間に、ぼったくり目的の白タクの運転手達がびっしりいて、やたらと親切そうに声をかけてくる。日本語を使うのもいて、実にうっとうしい。何とかタクシー乗り場まで行き着いたが、乗り込んだタクシーの運ちゃんは、英語がまったく通じない。いや、日本だってタクシーの運ちゃんは英語は喋らないが、「One」とか「Two」や、「Yes」や「No」ぐらいは通じるじゃない。これがもう全然ダメ。で、結局滞在予定のホテルの名前を紙に書いて何とか行き先が通じる。やれやれ。

北京の街はスモッグと埃で煙っていて、ぼんやりとした景色。しかも、何かの木の花らしいのだが、タンポポの綿毛のようなものが猛烈にたくさん浮いていて、車の中にもばんばん入ってくる。これがなかなか不思議な感じというか、鬱陶しいというか、微妙な感じなのだ。

30分ほどで滞在予定の「京倫飯店」に到着。北京では「ホテル」は「飯店」だったり「酒店」だったりという名前がついている。「京倫飯店」は、JALが経営しているホテルで、日本人スタッフも常駐している。

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ホテルに到着すると、商談相手がすでに来ていて僕らを待っていた。なのでチェックインするとすぐにそのままホテルのビジネスラウンジで商談に突入。そうそう、その前に携帯で東京のオフィスに電話。ちゃんと繋がった。北京と東京の間で携帯で電話が出来るとはねぇ。

で、ビジネスラウンジでコーヒーを飲みつつ契約書にサインをしたり、中国におけるビジネス環境について、あれこれ裏話を聞いたり。非常に充実した話し合いではあるのだが、やはり到着してまったく休んでいないので、1時間半ほど商談をしたらクタクタに疲れてしまった。こういう時、一昨年日帰りで北朝鮮を訪問した小泉首相達は大変だったと思うんだよなあ。まあもちろん政府専用機の座席はエコノミークラスみたいに狭くはないだろうし、もらってるサラリーも段違いだけど、それでもやはり空を飛ぶのは大変疲れることだ。

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商談が終わると、すぐに食事に出かけることに。時計を見ると現地時間で4時30分。日本時間で5時30分。なるほど。

商談相手のKさん(日本人)がレストランに案内してくれることになり、3人でホテルを出てブラブラと歩く。広い道路には車があふれ、日本よりもずっと排気ガスがひどい。高層ビルがどんどん建っていて、Kさんも「こっちは今バブルです」といっている。でもその一方で、天安門へと続く目抜き通りにも関わらず(目抜き通りだからというのもあるかも)、歩道には浮浪者があふれていて、スーツ姿の日本人を見つけると、わらわらと寄ってくる。何もせず、ただぼんやりと立っている人や、座っている人が多い。

ホテルから5分ほどのところにマーケットがある。俗称silk market。浅草の伝法院通りを狭くして両側にびっしり店がある感じ。Kさんが通訳してくれたのだが、社長が手に取ったシルクのスカーフが、最初280人民元と言っていたのに、「いらない」を繰り返すと、最後には40元になった(結局買わなかったが)。うーむ、なるほど。

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マクドナルドやスターバックスの前を通ってレストランに到着。北京ダッグのお店でその名も「鴨王」。地元の庶民は来ないような高級店だそうだ。

ビール飲んでその後はウォッカのような透明の酒をストレートで飲む。中国の宴会のマナーは、誰かがグラスを持ったら(特に年長者が持ったら)、必ず全員グラスを持ち、毎回乾杯をして、グラスを空にしなければならない。しかもこのウォッカみたいなお酒は度数が38度もある。僕は酒が強いからいいけど、飲めない人は大変だと思う。

で、Kさんに、そんな飲み方をすれば当然みんな酔っぱらうだろうけれども、酔っぱらったら多少失礼なことをしたり言ったりしても大目に見てもらえるような、日本人にあるような感覚は中国人にもあるか、と質問。予想通り、「それが許されるのは日本だけでしょう」とのこと。酔ってもあくまでも自分の発言や行動には責任を負うのが当たり前とのこと。

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ゴーヤの炒め物、びっしりと赤唐辛子が敷き詰められたお皿に盛られたアヒルの唐揚げ、アヒルの肉とナッツと野菜の炒め物などをいただき、その後でメインの北京ダック。北京ダッグもその他の料理も、日本で食べる中華料理よりもよりスパイシー。北京ダックは皮のカリカリ感が日本のものより遥かに美味しくて驚いた。忘れられない味になりそうだ。

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すっかり満腹になり、お酒もそれなりに回って店を出る。店内は欧米人と日本人が多く、中国人は張り切ってデートにやってきた若者のカップルや、いかにも富裕層という感じの家族連れなどがいる程度。3人で散々食べて飲んで450元程度。為替レートで換算するとだいたい6500円ぐらいなのだが、Kさんによると、中国の実勢の人民元の物価は、日本円のだいたい100分の1程度と考えてほしいとのこと。つまり、中国では3元で大衆食堂で地元の人間が食べる麺を売っている。日本の吉野家の牛丼が約300円程度。平均的サラリーマンの月収が3,000元程度で、これを100倍すると大体30万円ということで、まあそんな感じかね、というところ。今日の夕食は中国人にとっては3人で4万5,000円程度ということになるので、とても高級なお店ということになる。お店で働いているウェイトレスの女の子達はみんなすごく若い。恐らく13〜15歳ぐらいで、Kさんによると、地方から出稼ぎに出て来た女の子達で、この子達の月収は400〜500元程度とのこと。貧富の差は日本よりも遥かに激しい。

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レストランを出て、ぶらぶらとホテルまで歩く。ホテルの向こうにはWorld Trade Centerの高層ビルが二本建っている。道路の幅も、一区画もやたらとでかいので、近くに見えている場所までも、ずいぶん長く歩かなければならない。

Kさんがホテルの前まで送ってくれる。「もういっぱい行きませんか」と誘ってくれたのだが、時計を見ると9時45分。日本時間で10時45分。そろそろ眠くなってきたのでここでお別れ。社長と明日の予定を確認してそれぞれ部屋に戻る。

部屋に戻り、シャワー浴びてからノートPCを取り出してネット接続を試みるが、うまくいかない。フロントに電話をかけ、あれこれ。最初は英語でやり取りしていたのだが、お酒も入っていて段々面倒になり、最後は「Can I talk to someone who can speak Japanese?」となった。すぐに日本人スタッフが出て、あれこれ説明してくれてようやくネット開通。北京で100Mbpsの常時接続である。何ともまあ。

早速VPNで会社のネットワークに入り、メイルチェック。その後はニュースを見たり、いつものページを眺めたり。北京から眺める塵芥堂日記というのはなかなか趣があるものだ。ニュースを見ていたら、福田官房長官が辞任と出ていた。なんだなんだ?

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北京滞在記をリアルタイムで書いてアップしようかと思っていたのだが、いい加減くたびれてしまったので止めて、東京のニナに電話してから眠る。透明のお酒が結構効いたようで、ホテルに戻ってからもう少し飲もうかと思って冷蔵庫から出したビールは、結局開けないまま枕元において寝てしまった。

眠る前に、みんなと離れたこんな遠いところで死ぬのは、絶対にイヤだな。と思った。


2003年5月7日(水) くもり 時々 雨 蒸し暑い
【ひどい天気/酒当番で飲み】

今日もジョギング。ヒルズのけやき坂を上り、テレビ朝日通りに出て櫻田神社にお参りしてから有栖川公園に向かう。木下坂を下ってしまおうかとも思ったのだが、そうすると南部坂をヒーヒー言いながら上るか、天現寺橋を左折して古川橋周りという長いコースを走るかになってしまうので、今日のところは抑えてがま池コース。がま池は水の循環を止めてしまったのか、ひどく水が澱んでいて気になった。

昨日から気温と湿度が高く、梅雨みたいな天気。まだ5月初旬だってのに、この天気はないだろう。

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仕事の後は会社のF君Kさんにニナも加わって酒当番で飲み。11時頃までワーワーやってすっかり酔っ払い。ニナと二人でタクシーで帰宅。タクシーに乗ろうと思ったら道がひどく渋滞していて、何だろうと思ったら、ヤクザが警察と大もめに揉めていた。全身入れ墨の兄ちゃんが突如服を脱ぎだして、全裸になってしまったのには笑った。

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やはり月に一度はタクシーに乗ってしまうなぁ。


2002年5月7日(火) 雨
目覚ましは6時にかけておいたのだが、5時45分に目覚める。やはり会社のサーバ障害が気になっていたのだろう。何とも気の重い連休明けである。

雨の中出勤。車中では永井荷風を読んでやや気分転換に成功。めざましテレビの占いでも蟹座はトップだったし、と自分を励ます。

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で、早速復旧作業に入る。とは言っても僕にやれるのは、サポートに電話して、対応してもらうことと、復旧するまでの対応をどうするかを決めることだ。サポートの会社が対応を決めるまで2時間。この間が精神的には一番きつかった。やらなければならないことは山盛りなのだが、やはり気になってしまいなかなか手に付かない。ならばということで、サーバを経由しない、ISPのダイヤルアップアカウントの設定をして、とりあえずメイル一本だけは通るようにしておく。

午後一番でエンジニアが来社。復旧作業に入る。一安心する暇もなく、本来ならば面接があるはずなのに、受験者が現れず。結局20分遅れで現れたが、この時点で失格。お引き取り頂く。ったく準備する人間の身になってくれよ。

2時からは税理士の先生が来社。昨年度の決算書類を受領し、その後で一時間ほどあれこれとお話を伺うのだが、話の内容がちんぷんかんぷんで、どうにも困ってしまう。商法だとか税法だとか、今までの僕の人生においてほとんど縁がなかった用語が続出し、困惑しつつカクカクと頷いたりメモを取ったり。

で、ここでアクシデントが発生。話を聞きながら眼鏡を何気なく触ったら、左側のツルが、ぽっきりと根元から折れてしまい、眼鏡が膝の上にポトリと落ちた。一瞬何のことか分からなかったが、僕は眼鏡がないと何も見えないので、中座してトイレで急遽コンタクトを入れ、部屋に戻った。昨日眼鏡屋でブリッジのところを直してもらったばかりなのに、もう壊れてしまったよ。とほほほほ。

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サーバ(というかFireWall機器)の障害は、午後4時半頃に何とか仮復旧。ハードウェアがお亡くなりになってしまったため、急遽サポート会社が代替品を持ってきて、臨時に設定してくれて何とか動いている。明日メーカーから正規の代替品(という言い方も妙だが)が届き、うちの機器を引き取って調査・修理後再度交換、という流れになるようだ。とにもかくにも直って良かった。5月2日の夜に障害を発見してから、足掛け6日ぶりにネットが正常に動くようになった。すっかり脱力してしまうが、ここで気を抜くわけには行かないので、気合いを入れ直してもう一仕事。

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すっかり疲れ果てて6時半過ぎに退社。三鷹駅でニナと合流し、スーパーと弁当屋に寄って帰宅。お弁当食べてお茶を濁す。

ああ、何だかとても疲れたぞ。でも今日も良く頑張った。

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眼鏡の保証書をこれから探して、明日の夜眼鏡屋に行くこと。

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先週Amazonに注文した本の配送情報を見に行ったら、発送予定日が6月4日〜6月20日になっていた。何でそんなにかかるん?

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ここのところ、栄養ドリンクの「リゲイン」のCMで、10年前のバブルの頃に時任三郎が歌っていた、「黄色と黒は勇気のしるし、24時間闘えますか〜♪」の歌が、インストながら復活していて非常に嬉しい。何の理由も脈絡もないのだが、学生の頃からあの曲が大好きだった。次のバージョンでは是非歌詞も入れて復活して欲しい。


2001年5月7日(月)

記載なし


2000年5月7日(日) 晴れ

旅行から帰ってきた翌日ということもあり、部屋でのんびりと過ごす。

午後から、まいさんが遊びにくる。チュニジアのお土産で、灰皿を頂く。まいさんはチュニジアで購入した水タバコの器具と、木炭をかついでやってきたが、結局うまく水タバコを吸うことはできなかった。あれだけ重い器具を持って帰ってきたというのに気の毒なことだ。

チュニジアのワインを頂き(さっぱりしたロゼ)、夕食はケイタリングでピザだの中華だのをとり、結局夜の10時過ぎまでワイワイやる。僕とニナもだが、まいさんも出張帰りで疲れていて、みんな部屋でゴロゴロして、うとうとしたりして。

さて、連休もおしまいだ。

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今日の体重:?キロ(12月23日スタート時95.8キロ)、今日の体脂肪率:?パーセント(12月23日スタート時28.8パーセント)


1999年5月7日

記載なし


1998年5月7日

カラカラの喉にバーボンソーダを流し込む


1997年5月7日

不明編・銀のポワソンナイフを振りかざし


1996年5月7日

男の別れ方



昨日作者について明日

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